一人の死者と幾千の魂 84話:箱庭の裏側

一人の死者と幾千の魂

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「私は世界と繋がることが出来ます」

 シグノアがそう言うと、クロウの笑みが消える。

「それで、なにができる?」

「具体的には何とはわかりませんが、おそらく感情の巨木に繋がるのでしょう。竜の因子を特定することは可能かと」

 クロウはそれを聞いて、先程の薄ら寒い笑みではなく、心からの笑みを浮かべる。

「面白い! それで、お前は何がしたいんだ?」

「ヴェリドくんを守るのみです。分かっているでしょうが、彼の心はこれ以上持ちません。これ以上心に負荷が掛かる前に聖女を殺してください」

「どうしたシグノア? 面白いと言われたから冗談でも言いたくなったか?」

「では、あなた達の喜びはどう説明しますか?」

 クロウがおどけた様子で聞き返した。シグノアはクロウの心が普段と異なる点を指摘し、これ以上のやり取りを潰した。再び、クロウの笑みが消える。

 シグノアはクロウの目的がはっきりと分かっていたわけではなかった。しかしクロウの反応を見れば、彼の目的が聖女の殺害であることは明らかだった。

 もちろんクロウはシグノアの問いに明確な答えを返した訳では無い。しかしクロウの動揺はシグノアの魔力によって見抜かれたのだ。クロウの心は普段ノイズが多く、シグノアでも読み取ることが出来ない。しかし聖女の名前が出た瞬間、そのノイズが嘘のように消えたのだ。

 それまではシグノアは、クロウは瘴気によって自分の魔力を妨害しているのだと考えていた。しかしクロウの心の動きと、彼の魔力に関する仮説を鑑みて、一つの結論に至る。

 クロウは魔力の妨害をしていたのではなく、常に他の人格が主義主張をしていたからこそノイズだらけだったのだと。

 クロウは一人の人間としてではなく、人々の願いの集合体として生まれた。願いの枝葉は異なれどもその本質は一つだ。彼らの本質は自らを苦しめた箱庭に対する贖罪を求める者、聖女の死を願う者である。そうした人々の、願いの枝葉がシグノアの魔力を、意図せず妨害していたのだ。

 一人の人間から幾人もの願いを感じ取れば、その詳細を追うことは難しい。クロウを作る人々が一つの方向を向いた時、シグノアは初めてその願いを読み取ることが出来たのだ。

 シグノアはクロウが多重人格であるというものを仮説の一つに持っていた。クロウが生み出す鴉は、自身が操作していたとするにはあまりに繊細な行動をしていた。それが数羽という数ならば不可能ではないが、数十、数百という数になってくれば、その操作にも限界がある。そのためシグノアはいくつかの人格が鴉の操作に関与していると考えた。

 実際には、自身の中に渦巻く存在の一部に、闇鴉という形で仮初の肉体を与えて世界に解き放っていた。クロウが持つ有り余るほどの瘴気は、彼らが生み出す瘴気の一部を一つの人格が譲り受けていたからこそ成り立っていた。

「これ以上は時間の無駄だな。あぁ、お前の言うとおりだよ。ヴェリドの完成も前倒しにするさ。ただ、心に負荷がかかるのはどうしようもない事だ。俺を超える魔人でなくては聖女を殺せない」

「もしヴェリドくんが死ぬような事があれば、私は貴方を許さない」

「ひゅー、怖いね。俺の計画は残していく鴉に聞いてくれ。互いにとって幸せな結末が訪れますように」

 クロウは鴉を一羽残して消えていった。残されたシグノアは世界と繋がるために瘴霧の森の奥へ入っていく。そしてシグノアは大きな切り株の前で立ち止まった。

 そこはアークを宿した竜リヴェルが死した場所だった。元々そこには大樹が生えていた。リヴェルがリヴェルと呼ばれる前の、純粋な竜として死んだ時にその竜は大樹となったのだ。

 しかし彷徨っていたアークの魂を取り込んでからその樹に変化が起きた。大樹が、死んだ竜が生き返ったのだ。大樹は独りでに変化を遂げ、そこには切り株だけが残された。

 蘇った竜はヴェリドによって殺され、再び変化を始めていた。死した竜の残骸はなく、再び大樹としての役割を果たそうとしているのだ。古い切り株の上には大樹の芽が生えていた。

 シグノアは樹の芽に視線をやり、その感情を覗き込む。竜に感情を持つ機関は備わっていなかったが、アークと結びついたことでリヴェルには感情が芽生えた。それゆえにシグノアの魔力は意味を成す。

 シグノアはあらゆる感覚を遮断し、意識を芽に集中させた。

 深く、深く意識を沈めた先に、世界は拓ける。

 そこは全てが白で塗りつぶされた、光に満ちた世界だった。

 背後を振り向くと腐り落ちた樹の上に新たな樹が生え始めている。目を凝らすと小さな球が宙を漂っていた。透明なガラス玉のようで、それぞれが様々な色に輝きながらプカプカと浮いている。シグノアは訳もなくそれが魂だと確信した。

 地に落ちた魂は引き寄せられるように新しい樹に吸い寄せられている。吸い寄せられた魂は樹に触れると、そのまま大樹に取り込まれた。

 すこし離れたところにも大樹が生えているのが見える。シグノアは意識の世界での移動に苦戦しながらもその樹に近づいた。近くで見るとその樹はよほどの老木で、いつ倒れても不思議ではなかった。

 その樹も先程の新芽と同じように魂を取り込んでいたが、その中で一つだけ大樹に取り込まれていない魂があった。その魂は一際大きく、七色に光り輝いている。

 言わずもがな、聖女の魂である。

 聖女の魂は忙しなく魂を老木から吸い上げ、世界に放流している。聖女は地に落ちた魂を浄化し、穢れた魂たちはもとの美しさを取り戻した。浄化され透き通った魂たちは聖女の元から飛び立ち、再び世界を漂い旅をする。魂たちは世界を揺蕩いながら穢れを吸い込み、地に落ちる。こうして魂は世界を循環していくのだ。

 その循環は永く続くものかと思われたが、そうは行かないのは火を見るよりも明らかであった。魂を集める老木は既に腐りかけていて、いつ倒れてもおかしくない。聖女の魂もよく見るとひび割れており、いつ砕けてもおかしくなかった。

 シグノアは再び魂の循環に目を向ける。

 浄化され無色になった魂たちは、聖女の周りを漂うモヤによって魂にそれぞれの色を与えられていた。あるものは炎の赤、あるものは水の青。それぞれの魂が色という形で御力を与えられていたのだ。

 しかしあるものは色を与えられなかった。それは悪意あるものではなく、ただそのモヤが対応しきれずにそのまま世界に飛び立ってしまったモノたちだ。色のない彼らは世界に満ちる穢れを吸い込み、自分の色という名の魔力を得るのだ。

 彼らは穢れという色を吸い込んで力を得た存在だからこそ、魔人として蔑まれ、嫌われていた。聖女が彼らを処罰することに積極的ではないのは、彼らが生まれる原因の一部として魂の循環の不手際にあるからだ。言い換えれば、聖女は魔人が生まれる原因の一端を担っているということであった。

 魂が穢れを吸い込んで魔人となるのであれば、その穢れはどこからやってくるのだろうか。また、穢れとは何だろうか。シグノアはもう少しで箱庭の真の仕組みを解き明かすことができるというところで考えを止めた。

 ここに来たのは箱庭の秘密を解き明かすためではない。精神世界でアークの欠片を探し、その情報を現実世界に持ち帰ることだ。魂が混じり合うということはその見た目が歪になるはずである。シグノアはそれらの魂を見つけては現実の鴉に伝え、再び精神世界に潜るということを繰り返した。

 大方全ての欠片を見つけ出し伝達し終えたシグノアは最後に鴉を見た。魂ですらない穢れの集合に恐怖しながら、精神世界を後にした。

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