一人の死者と幾千の魂  1話 :少年は一度死ぬ

一人の死者と幾千の魂

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 これは神が創り出した箱庭と魔人の物語。

 魂に瘴気を宿した少年は窓のない部屋に軟禁されながら育つ。硬い黒パンを水で流し込み部屋の外からかすかに聞こえる音に耳を向けながら、虚無の時間を過ごした。

 十五歳のとき、彼は神の祝福を受けた弟に「救済の儀」という名の公開処刑で殺されてしまう。しかし少年は魔人の魂の欠片と混じり合い蘇る。少年を蘇らせた魔人は彼に問うた。

「君には2つの選択肢がある。ここで人の子として死ぬか、魔人として二度目を生きるか」

 彼は魔人としての生を選び、新たな人生を歩む。

少年は一度死ぬ

 皆が寝静まる深夜に一人の子供が生まれた。

 しかしその子は生まれることを望まれながら、生まれたことを祝われることはなかった。それは神の祝福を強く受けて生まれることを望まれる立場のニアレイジ家に生まれ、神々の祝福を受けなかったからだ。

  いや、神々の祝福を受けなかっただけならまだしも、その子――忌み子の魂は黒く歪み、強い瘴気を魂に宿していた。神官の眼に映る髪は、魂の穢れを体現したかのように淀んだ紫。眼窩には神々の導きを失った光のない紫眼が左にあり、もう片方には虚ろな空洞があった。

 ※×※×※

 彼は窓のない部屋で軟禁されながら育っていく。幼い頃は他愛もない話を両親としていたが、いつしか彼のもとに両親が顔を見せることはなくなった。
 優しかった使用人も汚物を見るような蔑んだ眼で彼を見るようになった。彼女はいつも一つの黒パンと水差しを持って部屋にやってくる。それらを部屋に置き、彼に一瞥もせずに部屋を出る。
 少年と呼ぶには幼すぎる彼は与えられた硬いパンを口に含み水で流し込む。そして部屋の外からかすかに聞こえる会話に耳をむけ虚無の時間がすぎるのを待つ。
 そんな毎日の繰り返しの中で彼の精神は疲弊していった。

 彼が十五歳の時、無駄な日々の繰り返しに変化があった。
 いつものように部屋にやってきた彼女は端的に告げる。部屋から出なさい、と。
 彼は立ち上がろうとするも、やせ細った身体では上手く立つことができない。ふらつきながらも壁伝いに部屋を出ると、突然後ろから袋のようなものを被せられる。
 神官がなにか聞き取れないような声量で呟くと、彼の身体から力が抜けて、意識は闇に落ちた。

 彼が意識を取り戻した時、彼の前にはたくさんの人たちが集まっていた。彼らは少年に向けて罵詈雑言を浴びせる。

「魔人に罰を!」「裁きを受けろ!」「聖女様、どうか醜き魔人の魂をお救いください」「人間の成り損ないめ!」

 貼り付けにされた少年は身に覚えのない罪に困惑した。ボクはなにか悪いことをしたのだろうかと。
 なにかの間違いだと声を大にして叫ぼうとするも、彼の体に大声を出すほどの活力はなかった。聴衆は聞く耳を持たず彼らが放つ罵声を大きくするだけだった。

「神の信徒よ、お静まりください」

 女性の美しい声が広場に広がった。瞬間先程まで飛び交っていた罵声は鳴りを潜め、聴衆の視線は声の持ち主に釘付けになる。

「これより、救済の儀を行います。本日神のもとに送られる方は瘴気に飲まれた少年です。少年の魂を蝕む瘴気だけを滅することはできません。私たちにできるのは瘴気に飲まれた魂を神のもとに送り届けることのみ。そして願わくば我らの神々によって少年の魂が救われることを――」

 決して大きな声ではない、しかしながらよく通る声で聖女が話を続ける。

「――それでは少年、なにか言い残すことはありますか?」

 最後に彼女は少年にそう問いかけた。なんと悪趣味なことだろうか、これでは救済とは名ばかりの見世物ではないか。少年は首だけを動かして周りを見る。隣にはつらつらとよく喋る聖女が、正面にはギラついた眼で少年を見ている聴衆たちがいる。

「ショウキじゃない」

 少年は小さな声で呟いた。聖女は嬉しそうな声で追い打ちをかけるように、少年だけに聞こえる声で言った。

「そうそう、貴方を救ってくれるのは弟さんですよ。彼、とても優秀な子で将来が楽しみですね」

 ――貴方に将来はありませんが。そんな言葉が聖女の口から紡がれる。聖女の言葉には子供が与えられた玩具を壊してしまうかのような、純粋な残酷さを孕んでいた。

「皆様、どうかこの少年を慈愛をもって神のもとに送り届けましょう」
『フェイレル』

 神の信徒たちが口を揃えてその言葉を発した。同時に白光の剣が少年の胸を貫き、少年の心臓は激しく脈動する。心臓だけではない、体が、魂が脈を打つ。
 脈打つ心臓は少年の体から血液を吐き出す。黒く霞む少年の視界からは聴衆たちが瘴気に飲まれているようにしか見えなかった。

 聴衆と共に見える光剣には複雑な文様が施されている。薄れゆく視界の中で剣が持つ輝きだけが意識と共に消えていった。

 そして少年は一度死んだ。

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