一人の死者と幾千の魂 44話:困惑、平静

一人の死者と幾千の魂

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困惑、平静

 死を覚悟したヴェリドだったが、ヴァンの槍がヴェリドに突き刺さることはなかった。ヴァンは衝撃と共に派手に吹き飛ばされ、背後の木々に叩きつけられる。

「ギリギリ間に合いましたか」

 ヴェリドは視線を横に向け、声の主を確認しようとする。そこには血まみれになったシグノアが剣を片手に立っていた。彼はここに来るまでに相当急いだのか息を切らしている。しかし彼が纏う雰囲気はいつもと変わらない、落ち着いたものだった。

 緊張の糸が切れてしまったのか、ヴェリドは地面にへたり込んでしまう。彼は突然の出来事に困惑して目の前の情報をうまく飲み込むことができない。

「ど、どうして」

「ヴァンの心の様子がおかしかったので、気を張っていたんです。まぁ、妨害があって来るのが遅れてしまいましたが……。もう大丈夫ですよ」

 死を覚悟していたヴェリドにとって、シグノアの登場は予期していなかった。ヴェリドは先程まで死を受け入れようとしていた。もっと言うならば、消極的に死を望んでいたのだ。ヴェリドは生を諦めてしまえば、抱えている苦悩と共に心中できると考えていた。

 シグノアは明るい笑みを浮かべて、へたり込むヴェリドに手を差し伸べる。気が動転していたヴェリドはシグノアの大丈夫という言葉で落ち着きを取り戻した。そして差し伸べられたシグノアの手と彼自身に目を向ける。

 シグノアの手は血にまみれていた。彼が持つ剣にも大量の血が付いている。急いでここに来たのだろうか、彼に付いた血はまだ乾いていない。妨害にあったというくらいだ、その血はきっと人間のもののはずだ。これだけ血を流した人は死んでしまうだろう。乾ききらない血が死の生々しさを強く感じさせる。

 そんな中、彼は普段と変わりない笑顔でいた。もちろん彼の顔も血まみれである。彼の白い髪は紅く染まってしまっている。その笑みは作り笑顔にしても、あまりに自然過ぎた。

 だからだろうか、ヴェリドは一瞬、彼の手を取ることをためらってしまう。胸の内にわずかな疑念が湧き立ち、心の暗いところをくすぐる。

「……ありがとうございます」

 ヴェリドは胸にあった疑念を振り払い、シグノアの手を取って立ち上がった。シグノアが自分を心配してくれていて、それが善意から来るものだとヴェリドはわかっていた。しかしそれと同時に振り払ったはずの疑念が立ち上がってくる。

 どうしてこの状況で笑顔でいられるのだろうか。

「大丈夫ですか? 傷が痛みますか?」

「いえ、大丈夫です」

 ヴァンに斬られた傷は癒えることなく、脈々と血を流している。それにリヴェルとの戦いで全身ボロボロだった。しかしそれ以上に精神面で疲弊していた。

 愛想笑いで返そうと頬を上げるも、どうにも歪な気がしてならない。頬が引きつってうまく笑えていないような気がした。

「くそっ! アイツは何してんだよ! シグノアを食い止めておくはずだっただろうが」

「えぇ、きちんと彼女は仕事をしようとしていましたよ。ただ、仕事を完遂できなかっただけです」

「あぁ! イライラするなぁ! そこをどけよ。俺にヴェリドを殺させてくれ」

「お断りさせていただきます」

 ヴァンは手に持った槍を地面に突いて身体を支えている。身体に目立った傷はないが、打ち身がひどいのだろうか、歩きながら時折顔を歪ませる。そして彼は顔を歪ませたまま悪態をつく。

 ヴァンの答えを求めていない発言に対して、落ち着いた様子でシグノアが言葉を返す。その返答は自身の復讐が潰されたことを残酷なまでに意識させた。お前の準備した策は無意味だったと言われているようで、ヴァンを激しく苛立たせる。

 もはやヴァンは殺意を隠すことなく、地面に突いていた槍をヴェリドへ向けた。槍に込められたヴァンの魔力が槍の軌道を追うように深紫の線を描く。夜の闇に同化するような魔力はヴァンが持つ復讐心の現れであった。

「なんでだよ、俺の中を覗けばわかるだろうが! これは罪に対する正当な罰だ」

「なにやら勘違いをしているようですね。確かに貴方の中を覗けばどういったことがあったのか、概要くらいなら知ることはできます。しかしそのことに何の価値があるのでしょうか? 復讐が良くないだとか、道徳を説くつもりはありません。復讐がしたいのなら、勝手にすれば良いでしょう。ただ、そんなものは私には関係ないのです」

 シグノアは手持ち無沙汰になったのか、手の中でナイフを縦横無尽に踊らせる。ただの手遊びのように見えるが、ヴァンは妙な緊張感に包まれていた。手元のナイフがいつ自分の方へ飛んできてもおかしくないのだ。

 シグノアが浮かべる笑みがこれまた気持ち悪い。それはクロウのような不自然な影のある笑みではなく、純粋で美しい笑みだった。彼は全てを見透かしていて、ヴァンはその上で踊らされているような錯覚に陥ってしまう。

「罪? 罰? そんな価値観を持つのは勝手ですが、私に強要しないで頂きたい。私たちは魔人であり、自分自身が法であるのですから。それが正しいか正しくないかは私が決めることです」

 シグノアの言葉の調子は変わらず、感情が見えない。怒りや悲しみ、不快などの感情が乗るはずの彼の言葉には、淡々とした虚無があった。

「その上で言いましょう。何があろうとも私はヴェリドくんの味方です」

 ヴェリドに視線を向けながら、シグノアはそう言った。

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