短編小説 死する救いのほう助

短編小説

胸糞注意です。

本編

 とある男は青い鳥のアイコンのSNSに無造作に書き込まれた言葉を眺めていた。

『死にたい』

『生きるのが辛い。消えたい』

『生きたくないけど、死ぬ勇気もない』

『辛い、何もかもが辛い。死んで楽になれたら良いのに』

『誰か俺を殺してくれ』

 その言葉はどれもネガティブで自らの死を望むようなものばかりだ。男は言葉を呟いた人たちから特定の人にダイレクトメッセージを送る。

『もし良ければボクに悩み事を話してみませんか』

 男がメッセージを送った相手のアカウントには若い女性だと思わせるような情報があった。

 それは投稿の内容であったりとかアカウントの名前、プロフィールに記載されていることなどだ。

 青い鳥のSNS上に、幸せになることを放棄し死を願う言葉が溢れている事に男はバカバカしく感じた。

 辛いことに目を向けて身近な幸せに気がつけないなんて。

 いや、逆なのかもしれない。身の回りの幸せに気付けないからこそ、こうして言葉を吐き出しているのだ。自分の傷を見せて、辛い自分を認めてほしいのだろう。

 そんなことを考えながら男は自分も大して変わらないと嘲笑った。男にとって何の得にもならない思考を止めること無く、画面をスクロールする。

 男はしばらく思い耽(ふけ)っていると、何件か返信が来ていることに気付いた。しかし男が送ったメッセージの数に対して返信の数は極端に少ない。

 男はそのことを気にする様子はなく、機械的に言葉を打ち込み送信する。

 返信の内容は悩み事を打ち明けるのに肯定的なものばかりではない。むしろ打ち明けることを渋ったり、心配するようなことは無いといったメッセージのほうが多い。

 曰く、『ありがとうございます。心配するようなことはないのでご安心ください』

 彼女たちは普段はこのようなメッセージを送ることはしないだろう。普通は日々の生活で悩んでいるしょうもないことを書いて送るのだ。無論、彼女たちは真剣に悩んでいるのだろうが、男からすればどうでもいいことでしかない。彼女たちがメッセージを送り返した理由は男のアカウントにあった。

 男のアカウント名は「安楽ほう助(やすらくほうすけ)」。名前の通り、安楽死や自殺幇助に関する話題を取り扱っている。また心理カウンセラーのような一面もあり、プロフィール欄には無料カウンセリングを行っているとの記載があった。

 チヤホヤされたいだけの彼女たちに心理カウンセラーのアカウントからメッセージが来れば驚くのも無理はない。驚いた彼女たちはメッセージを無視するか、気にする必要はないということを伝える。

 男は無表情で安堵の言葉を画面に打ち込む。『何もないようなら良かったです』、『くれぐれも無理はしないでくださいね』、『辛くなったらいつでも相談してください』などという何度打ち込んだかわからない定型文を送りつける。心にもない温かい言葉を打ち込む自分に、男は思わず笑みを零した。

 男のスマートフォンは軽快な音を鳴らして新たに返信が来たことを知らせる。それは男が待ち望んでいた、本当に死にたいと感じている若い女性からだった。彼女からの返信は目で追うのも億劫になるほどの長文で、彼女が死にたいと思う理由や境遇が語られている。

 男は長文に軽く目を通してから、女性を肯定する言葉を送る。彼女が欲しているのは現状を改善するための正論ではなく、労いと慰めだと男は知っているからだ。それに救いのない彼女の話を聞いた限り、彼女を責める理由はない。

 男は女性のことを肯定しながらも、決して生きろとは言わない。ただ表面だけの生きてほしいなんて彼女を苦しめるだけだ。

 良くも悪くも電波を通せば、その言葉に乗った感情はどこか電子の海に消えてしまう。もし生きろという言葉に相手を想う大切な意味が乗っていたとしても、相手にそれが伝わることはないだろう。ましてや死を考えて視野が狭くなっている相手に伝わる可能性は限りなく低い。

 それに男は本当のカウンセラーではない。ただカウンセラーの真似事をしているだけなので、しょせん他人事でしかないのだ。

 また、男は自殺することは悪いことだと考えていない。本当に死ぬことでしか自分が救われないのなら、男は喜んで自殺するだろう。しかし大抵の人間は自殺に至るまでに色々なことを頭に巡らせて、自殺することを諦めるのだが。

 男は大抵の人間と自殺する者との間にあった。男は以前に市販の睡眠薬をアルコールと一緒に服用して自殺をしようとしたことがある。その際は男がまだ未成年であったということもあり、時間通りに起きてこない男を心配した母親が救急車を呼んだことで一命をとりとめた。

 とりとめてしまった。

 男は一度自殺を試みたが死にきれず、そのまま成長して大人になってしまった。なにか大切なものが欠けたまま、男の中で狂気的な悪意が膨れ上がっていった。

『無料カウンセリングを受けることはできますか?』『直接会って相談したいです』

 スマートフォンに表示されたメッセージを見て、男は静かに歪んだ笑みを浮かべた。

※×※×※

「安楽ほう助さんですか?」

「はい、安楽です。はじめまして、裏垢少女さんですね?」

 男に話しかけられ、裏垢少女と呼ばれた彼女は小さく首を縦に振った。彼女は藍色の小花柄のキャミワンピースの下にゆったりとした白のシャツを着ている。シンプルだが全体的に良くまとまった服装に彼女の幼い容姿も相まって、男にあどけなさを感じさせた。

 対する男はワイシャツにネクタイを締めた、いかにもなサラリーマンの姿をしている。二人の対称的な装いはまるで援助交際をしている男女を思わせるものだった。

「それではカウンセリングの方を始めさせてもらいますね。いきなり本題に入るのは辛いでしょうから、簡単な質問からします」

「……はい」

「今、緊張していますか?」

「……はい、とても」

「そうですよね、初対面の人との会話ですから。友達と話すときみたいにもっと砕けた口調でも良いですよ」

 とあるビルの中にて、彼女の悩みが友人関係ではないと知っていたので、男は友達のようにと提案した。少女がぎこちない声で返事をしたのを受けて、男はテンポよく明るい声で話を進めていく。

 しばらく問答を繰り返して彼女の緊張を解した後、男は彼女に本題を切り出した。

「ネット上でもお話しましたが、改めてなぜ死にたいと思うのか、直接お話していただけますか?」

「えっと、アイツはお母さんに暴力を振るっていて、私は小さい頃からその光景を見てきました。――」

 アイツと呼ばれる彼女の父親は俗に言うダメ人間だった。”アイツ”は自分の娘が生まれてから妻に対して暴力を振るうようになった。その理由は娘の夜泣きがうるさい、自分の飯はまだかなどという自分本位なものだ。

 娘が生まれるまでは仕事をしていたが、その仕事も長くは続かなかった。娘が生まれてからは仕事をせずに昼から酒を飲んで、彼女に罵詈雑言を浴びせるような生活が続いた。それは夜の生活にも言えることだった。

 嫌がる彼女を無理やり脱がせて自分の性欲を晴らすための道具として扱った。彼は、無理やり犯され悲鳴を上げる彼女の首を締め付けて、彼女の叫びを押しつぶした。喉からかすかに漏れる彼女の苦悶の声は一人の女を支配しているという興奮を彼に与えるだけだった。

 妻が二人目の子供の妊娠が発覚した時、彼は新たな生命が眠る腹部を何度も、何度も、何度も殴った。彼は怒りに身を任せてひたすら殴り続けた。その結果、新たに宿った命はあまりにも早くその生命を終えることになる。

 失われたその生命(いのち)はとても小さかったが、人の形をしていた。

 幼い彼女は何が起きているか全貌を知ることはなかったが、幼いなりに色々なことを見て、考えていた。

 父親から何度言われたかわからない「お前なんか生まれてこなければよかった」。

 母親に泣きながら言われた「ごめんね」。

 大好きなお母さんを泣かせる”アイツ”は悪で、自分はお母さんを守らないといけない。

 そんなことを思いながら成長した彼女は母親が殴られているところを見て、”アイツ”に対して暴力を辞めるように言った。彼女は”アイツ”に暴力を振るわれることを覚悟をしていたが、なんと予想に反して”アイツ”は何も言わなかったのだ。

 彼女はそんな”アイツ”の様子に強い違和感を覚えた。あんな簡単に引き下がる男ではない、と。

 その日の夜、”アイツ”は彼女に気色の悪い笑みを浮かべて伝える。

「今日、俺の部屋に来い。お前の母親に言ったらどうなるかわかってるよな?」

 彼女は恐怖を押し殺して男の部屋を訪れた。それは”アイツ”の言うことを聞かなければ、母親が酷い目に合うとわかっていたからだ。

 彼女が部屋に訪れた時、”アイツ”は自身の下半身を露出していた。”アイツ”のおぞましい姿に彼女はひどい吐き気を感じた。”アイツ”はかつて彼女の母親にしたように、彼女の首を締めながらひたすらに自分の欲望を打ち付ける。

 彼女が全て終わったと思った時、男はさも当たり前かのように告げた。

「これからもよろしく、な?」

 それでも彼女は母親のためなら、どんなに辛くても耐えることができた。今までお母さんが辛かったのだから、私が耐える番だ、と彼女は常に考えていた。

 だからこそ彼女の心はポッキリと簡単に折れる。彼女は母親が”アイツ”に殴られているのを見てしまった。殴られた箇所には他人からは見えにくいが、確かにあざができている。自分が母親を守っていると思っていたのは幻想で、母親が見せた笑顔も幻想で、自分が何一つ為せていなかったことを知ってしまったのだ。

 それから数週間も立たないうちに彼女はとある事実に気付く。

 生理が来ない。

 それが意味するのは”アイツ”の子が彼女のお腹にいるということ。

 彼女は”アイツ”の一部が体内にある今の状態が苦痛で仕方なかった。彼女の身体の穢れは身体をどれだけ洗っても決して落ちることはなかった。

 彼女は自分が妊娠したと気づいてから母親にこう尋ねたことがある。

「どうしてアイツとの間にできた子供を産もうと思ったの?」

 彼女はあえて私と言わずに子供という言葉を使った。聞かれた母親は穏やかに答える。

「あなたはね、半分が誰であっても、もう半分は私の子なの。私の子供を愛するのは当然でしょ?」

 その言葉を聞いた時、彼女は自分はまだ母になれないと思った。それと同時に母親の偉大さに気づく。

 そして彼女は母としてではなく、娘として判断を下す。

「この子と一緒に死のう」

 男は彼女の話を聞いている間、相槌を打つことはあっても口を挟むことはなかった。男と彼女はその後も問答を幾度も繰り返した。

 彼女との別れ際、男は彼女に紙を手渡しそっと告げる。

「もし、本当に死にたいと思う気持ちが変わらなければ、明日紙に書かれている場所に来てください」

※×※×※

 深夜、彼女は男に言われた通りに紙に書かれた住所の家にやってきた。そこは都心から離れた自然豊かな場所で人通りがなさそうな場所だ。彼女が訪れた家には庭というには大きすぎる山がついていた。

 勇気を出して彼女がインターフォンを押すと、男が家の戸を開けて現れた。男は彼女を自分の家に招きあげ、彼女に一杯の紅茶を差し出す。

「ここに来たってことはこれから死ぬということになるけど大丈夫?」

「はい」

「それじゃあ、この睡眠薬を飲んで。殺すときに意識があるとやりにくいから」

 男はカウンセラーと偽っていたときよりも砕けた話し方で彼女と話していた。彼女の意識が落ちるまで男は彼女と会話を続ける。彼女が完全に眠ったタイミングで、男は彼女を隣の部屋へと運び出す。

 その部屋には汚く汚れたブルーシートが一面に貼られていた。その汚れは泥などではなく、血の染みだ。

 男は彼女の上に馬乗りになって、白く細い首へと手をのばす。男の手が彼女の首に触れた時、男の冷たい手に彼女の脈とぬくもりがたしかに伝わった。男は彼女の気道を押さえていることを確認して身体を前傾させる。

 その様子はくしくも彼女が語る”アイツ”に酷似していた。違うのは”アイツ”が齎したのは苦痛で、男が齎したのは救いであることのみ。

 彼女の脈が止まってから数分後、男はようやく彼女の上から離れた。男は手にスマートフォンを持ち、カメラアプリを起動する。レンズを死した彼女に向けると、彼女の穏やかな死に顔を撮影し始めた。

 彼女の首元には紫色の手跡がくっきりと残っている。写真撮影を終えた後、男は部屋の引き出しに仕舞われていたナイフを手に取った。

 男は彼女が着ている服をナイフで引き裂き、彼女の腹部を露出させる。そしてそのまま彼女の腹にナイフを突き刺した。ナイフを引き抜くと、脈が止まっているからか穏やかに血が流れ出ていく。再び手にスマートフォンを持ち、彼女の身体全体が映るように写真を複数枚撮った。

 彼女のお腹の子供を殺すのにわざわざナイフを突き刺す必要は無い。母体が死んでいるのだから放置していれば胎児はそのうち死に絶える事となる。

 男がナイフを突き刺したのは、死体の写真を見返したときに彼女を苦しめていたものが人目でわかるようにしたかったからだ。

 男の写真フォルダーには同じように睡眠薬を飲んだ後に殺された少女たちが何人もいた。少女たちは皆穏やかな死に顔で、まるで眠っているかのようだった。少女のうち一人は一糸纏わぬ姿で撮影されていた。

 彼女の身体にはいくつもの青い痣ができていた。その痣は手足などの末端には無く、胴体など他人から見えにくいところにできている。

 他にも度重なる手術で疲弊した少女では、彼女の服が四角く切り抜かれ、あらわになったに腹部を縦に薄く切り裂かれている。

 他にも、他にも、他にも――。

 眠る少女を横目に、男はカメラアプリを閉じて青い鳥のSNSを立ち上げる。そして男は「安楽ほう助(やすらくほうすけ)」としてではなく、生きている人間として羨むように呟いた。

「『誰か俺を殺してくれ』」

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