一人の死者と幾千の魂 79話:サイアード

一人の死者と幾千の魂

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「あなたは……」

 サイアードは眼の前の青年を見つめる。どこかで見たことがあるような気がしたが、分からない。だが心の底から震える何かが、彼らの間に何かしらの関係があることを示している。サイアードは無意識に身構え、その青年の瞳を見た。

「サイアード=ニアレイジ」

 目の前の彼は自分の名前を呼んで、手元に藍色の魔剣を創り出した。その魔剣はサイアードが使う光剣に酷似している。彼の顔には様々な感情が見て取れた。しかしそこに明るい感情は一つもない。

「お前は、どうしてこんなことをしている?」

「どうして? 理由のわからないことを聞きますね? ぼくは与えられた使命をこなすだけです」

 サイアードが怪訝そうな顔をして答えると、青年の顔にさらなる感情が塗り被される。青年は震える声で続けた。

「ボクのことを覚えているか?」

「すみません。思い出せそうなんですが、よくわかりません」

「……もういい」

「そうですか。それでは始めましょう」

 サイアードは剣を抜き光の武装を展開する。光がサイアードと剣を覆い、その表面に紋様が浮かぶ。剣に現れた紋様は熱を持って輝き出した。そしてサイアードを覆う光が意思を持ったかのようにヴェリドに襲いかかる。

 青年はそれを見るやいなや、魔剣を片手に距離を詰めて斬り掛かってきた。サイアードは膨張する光の剣で藍色の魔剣を迎え撃つ。両者の剣がぶつかった時、サイアードは目の前の青年のことを思い出した。

 サイアードが騎士になった日、聖女と共に救済の儀を執り行った。サイアードは魔人の心臓を一突きし、その魔人の鼓動を止めた。後から聞いた話だが、自分が手にかけた彼は自分の兄だったそうだ。それを聞いても、サイアードの心は全くと言って良いほど動かなかった。

 兄を殺したと言われても、サイアードにとっては赤の他人と同義だった。聞かされるまではその存在すら知らなかった兄に、どんな感情を抱けというのか。

 それどころか、サイアードは自分の意思というものが何なのか分からなかった。何をするにしても自分の存在が希薄で、どこか現実ではないような気がしてならないのだ。時折、自らの意思とは無関係に身体が動いているような感覚に陥る。

 今もそうだ。サイアードは青年と剣をぶつけ合い、命のやり取りをしているのにも関わらず、物思いに耽っている。自分以外の他人が肉体を操っていると言われても信じてしまうくらいには、サイアードは自分の存在が曖昧だった。

 魔剣と光剣が激しくぶつかり合い火花を散らす。二つの剣は白と藍の軌跡を残しながら、幾度も重なる。その光景を幻想的だと思いながら、サイアードは剣舞を続けた。

 どれほど剣を重ね合わせたか分からない頃、二人の体力は底をつきかけていた。その時、目の前の青年の目が蒼く輝いた。藍色の魔剣は同じように光を放ち、サイアードの胸に吸い込まれていく。

 魔剣は光の鎧を貫き、サイアードに突き刺さる。サイアードは瞳を閉じて、暗い闇に落ちていった。

 サイアードの中で、残酷な何かが頭をもたげる。

※×※×※

 ヴェリドはサイアードに突き刺さった魔剣を消し、物言わぬサイアードを見る。あの日と同じ胸の傷が、サイアードの肉体にも刻まれている。ヴェリドは名もなき忌み子の復讐を成すも、心は曇ったままだった。

 ヴェリドの心の中には後味の悪い感触だけが残っていた。自分を殺したことを悪びれずにいるのなら、恨ませてほしかった。殺したことに罪悪感があったなら、償ってほしかった。だが、彼は何もわからないまま剣を持って戦っていた。

 剣を合わせる前までの激情は戦いの中で吐き出されること無く、鬱々と心のなかにこびりついている。それどころか、剣を重ねるごとにその感情は大きくなっていった。大きく膨れ上がった感情は晴らされる事無く、ヴェリドの胸に留まり続ける。

「なにか、言ってくれよ……」

 何かが崩れる音がした。音がした方に目を向けると、大樹が燃え盛り防壁が崩れ落ちていた。サイアードから逃れていたペペがヴェリドに駆け寄り、慌てた様子で口を開いた。

「防壁の外から魔獣がなだれ込んできたわ! アンディじゃ歯が立たない!」

「……先に行っててくれ。すぐに向かう」

「分かった」

 ペペは不服そうな表情を見せるが、それ以上言わずに背を向けて走っていった。ヴェリドはそんなペペを見送り、今一度サイアードの顔を見つめる。

 思えば、きちんと彼の顔を見るのは初めてだった。サイアードに殺された時は光の剣しか見ていない。次に見た時はシグノアとの創園祭で、遠くから一方的に見ただけだ。

 彼はまだあどけなさの残る少年だった。

 自分よりも幼い少年が戦う意味を持たずに、ただ命令のまま戦っていたのだ。きっと救済の儀でもそうだった。ただそうしなさいと言われたから、彼は剣を持ってヴェリドを突き刺した。

 彼には選ぶ道があったのだろうか。

 それはヴェリドには分からない。ヴェリドはどうしても彼を憎む気持ちにはなれなかった。ヴェリドは行き場のない想いを胸に、手を合わせて祈りを捧げた。

※×※×※

 誰もいなくなったタイミングで、サイアードはムクリと立ち上がった。両手を握ったり開いたりしながら、体の感覚を確かめる。

「……フェイレル」

 教会で救いの言葉となったそれを呟く。彼の目にはサイアードのような温厚な眼差しは残っていない。サイアードの姿をした別の存在が彼の身体を操っていた。大樹に囚われていたところから開放され、なおかつ新たな肉体を手に入れた。身体は傷だらけだが、それでもこれほど喜ばしいことはない。

「少し待っててね、すぐ行くから。おにーさん」

 千年前からの兄弟の再会に胸が沸き立つ。といっても兄を殺したのは自分なのだが。二アレイジは愉悦に歪んだ笑みを浮かべた。

「行けないよ」

 小さく、だがはっきりと、幼子の声がした。振り返ると彼の背後には幼い少女がいた。彼女の眼差しは並の人間よりも鋭利で、幼さを感じさせない。だが受肉したばかりの二アレイジはその違和感を見逃してしまう。

「ヴェリドはリルが守るの。守られるだけなのは嫌」

「あぁ、今はそんなふうに名乗ってるんだね。兄さんらしくないけどね。兄さんはこんなガキは趣味じゃない。悪い虫は払わなきゃね」

 二アレイジは光の矢をリルリットに向かって放つ。しかしリルリットの目の前で膨張しながら歪み、光の矢が消失した。その挙動に危機感を持ったニアレイジは全身に光の武装を纏って剣を構える。リルリットを考えているのか、棒立ちのままだった。

 先に動いたのは二アレイジだった。牽制のために光の矢を飛ばすが、やはり先ほどと同じようにかき消される。理屈はわからないが、接近戦ならば体格差で圧倒できると考えた。

 動きを見れば、ズブの素人なのはすぐに分かる。振りかざされた剣に対して手のひらを向けへっぴり腰になっている。全身武装を出したことを後悔したが、それを表には出さない。

「来ないで!」

 瞬間激しい衝撃が全身を駆け巡る。光の鎧が二アレイジを守ったが、それでも無視できないほどの痛みが全身を駆け巡る。

 不可解な力にアレイジは思案する。この力を前に争うのは懸命とは言えない。二アレイジは瞬時に思考し、逃走を決断した。そうと決まれば早かった。二アレイジは武装を脚部だけを残して逃げ始めた。

「逃さない」

 こうして、幼女との鬼ごっこが始まった。

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