一人の死者と幾千の魂 46話:冬は終わり、春へ

一人の死者と幾千の魂

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冬は終わり、春へ

 寒かった冬が終わり、生命が芽吹く春が訪れた。冬が寒いのは、かつて人であった陽命の神が冬にお隠れになったからという説がある。春が命溢れる季節なのは陽命の神ニアレイジが正真正銘、神になったからだ。

 冬に流行っていた病は森に住んでいた竜リヴェルが死んだことで緩やかに収束した。リヴェルが死んだことも大きいが、一番の原因は病を媒介する魔猿が姿を消したことだろう。

 魔猿たちの多くはリヴェルによって殺されたが、生き残った個体も多くいる。しかし生き残ったはずの個体も息を揃えたかのように瘴霧の森から消えていたのだ。森を荒らす存在がいなくなり、暖かくなったことで新芽が安心して顔を出すことができるようになった。

 一方で未だに冬に囚われた者もいた。ヴェリドは薬屋の奥で鼻炎に効く薬を作っている。かつては店頭に立って接客をしていたが、今は客に見えない所に隠れてしまっている。

 薬を作る彼は左腕に布切れを巻いていた。そこには見ればすぐにわかるほど血が滲んでいる。それ以外にも全身の至るところに布を巻き、左腕ほどではないが血を滲ませている。それらの傷は全てヴァンにつけられたものだ。

 ヴァンが自殺した後、ヴェリドはしばらくの間、蹲っていた。シグノアはやるせない想いが彼の胸の中を支配しているのを見ていた。少し遅れてシグノアはもう一つのことに意識を向ける。ヴェリドの傷口はいつまでも血を流し続けていたのだ。

 シグノアは自身の衣服を破り、ヴェリドの傷口を固く縛って止血した。傷だらけのヴェリドをそのまま旧下水道を通すわけにはいかないので、瘴気でヴェリドを保護しながら薬屋に戻った。

 ヴェリドは血を流しすぎて意識が朦朧としていたため、どのようにして薬屋に戻ったのか、覚えていない。シグノアはこれ幸いと、ヴェリドに食べ物を与えて寝かせた後、彼に気づかれぬように血だらけになった部屋を片付け始める。

 シグノアが薬屋に戻ってきた時、彼と対峙した血肉の少女は部屋から姿を消していた。残されていたのは彼女の身体の欠片だけだった。不死の少女を逃したのは痛手だが、シグノアはヴェリドを助けるためには必要な犠牲だと割り切って考えていた。

 箒で床に散らかっている細切れになった身体を一箇所に集めて、それらを旧下水道に捨てた。もともと悪臭がきつい場所なので表に出せないゴミを捨てるのに適しているのだ。

 しばらくして戻ってきたガーリィは部屋の惨状や淀んだ空気に顔をしかめ、反転の魔力で部屋全体を元の清潔な状態に戻した。シグノアは帰ってきた彼女にヴェリドの傷を見せるも、ヴェリドの傷が癒えることはなかった。ガーリィの魔力よりも強力な魔力によってつけられた傷だったからだ。

 その魔力とはヴァンの魔力、彼の言葉通り呪いというべきものだろう。その能力は魔力によって傷つけられたものは二度と癒えることがないというものだ。ガーリィができることと言えば、傷口を魔力で殺菌するくらいだった。

 しかし、ヴェリドが塞ぎ込んでしまっているのは傷口が原因などではない。胸に溜まる黒い感情と向き合うため、いや感情に沈むためだった。答えの出ない問いをひたすら考え続け、今も頭を悩ませている。

 シグノアやガーリィが声を掛けるもヴェリドには響かなかった。血に濡れて平然としていたシグノア、普段見せない冷たい激情を見せたガーリィ、そのどちらの言葉も今のヴェリドには響かない。

 彼らが声をかけても、ヴェリドは曖昧な返事しかしなかった。食事のように顔を合わせる場でも、すぐに席を立って一人になろうとした。

 彼らを信じようとしても、心のどこかに影を引く。ヴェリドは一人で想いを抱え込んで、ただ瘴気を胸の内で膨らませていった。

 そんなヴェリドは行き場のない瘴気を吐き出すために、瘴気を使って薬を作っているのだ。瘴霧の森で採集したアルデニアの実の時のような特殊な瘴気の使い方ではなく、単純に第三の手として瘴気を使っていた。

 そんな生活が続いたため、瘴気の扱いだけが上達していった。ヴェリドはほぼ自由自在に瘴気を使いこなせるようになったと言って良いだろう。

 もちろんそれは基本的なことだけであって、ヴェリドが知らない技術を使うことはできない。それはアークの記憶にあった爆発する瘴気などだ。

 店先からは色々な人があれこれ話している声が聞こえてくる。それは薬の話だけではなく、ちょっとした世間話が大半を締めていた。今日は日が出ていて気持ちがいい、とか、向かいの家の息子さんが誕生日を迎える、だとかそんな話である。

 やはり暖かくなると、人々も活動的になるのだろう。薬屋の前ではあるが、重苦しい空気はなく楽しげな雰囲気を持っていた。薬を買いに来た女性は、「子どもたちと張り切って遊んでいたら腰を痛めてしまって」などと言って笑っていた。

 シグノアは彼らの暖かい空気に心を和ませながら、女性に塗り薬を渡した。お辞儀をして去る女性を尻目に店の奥で一人静かに薬を作るヴェリドの方を見る。俯きながら作業をする彼に、笑顔はない。

 そんな時、一人の男性がシグノアに声を掛ける。

「すみません、ヴェリドくんはいますか?」

 陰鬱な冬に取り残された少年に、柔らかな春の日差しが差し込む。

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