聖女とオルフィ
教会の一室、相変わらず生活感のない部屋であるが、以前との違いを上げるなら植物が飾られていることだろう。部屋にある唯一の窓のそばに、小さな鉢に入れられた花が咲いていた。たった一輪のそれは陽の光を存分に浴びて窓の外へ顔を向けている。
聖女は椅子に座って窓辺のオルフィを愛おしげに眺めていた。彼女は毎年この時期になると騎士に頼んでオルフィの苗を持ってきてもらっている。それも必ず、教会の裏の広場から持ってくるように、間違っても花屋から買わないようにと言うのだ。
騎士もその言いつけを忠実に守って、きちんと広場から持ってきている。昔、気づかないだろうと花屋で買ってきたオルフィを持ってきた騎士がいた。聖女はすぐに気づき、新しいものを持ってくるように伝えた。その騎士は即日、中央から外されたという。
しばらくの間聖女はオルフィを眺めていたが、彼女は水やりをしていないことを思い出し、その花に御力で作りだした水をやった。水滴で美しく飾られたオルフィは先程とはまた少し違ったように見える。彼女は満足そうに微笑み、再びオルフィを見つめ始めた。
「おいおい、人様を呼びつけといてこれかよ?」
聖女が愛おしそうにオルフィを眺めている間、一言も話さなかったその人物はしびれを切らして言葉を発する。もしこの場に騎士がいれば、聖女への不遜だと襲いかかっていたに違いない。もっとも襲ったところでその人物を害することはできないが。
「良いじゃないですか、貴方も花を見て心を落ち着かせた方が良いと思います。花を見ていると穏やかな気持ちになれますよ」
「オルフィと言ったっけ?」
「えぇ、花言葉は永遠の平和と繊細な愛情です」
彼女は椅子から立ち上がり、オルフィの方へゆっくりと歩いた。そして鼻と花が触れそうになるまで顔を近づけ、花の香りを楽しむ。
「へぇ」
「興味なさそうですね?」
「はは、その通り。ただ厄災を経験した聖女サマが言うのは皮肉だと思っただけさ」
その人物は妙な仮面をつけているにも関わらず、声をくぐもらせることはなかった。もちろんその人物というのはクロウである。
クロウと聖女のこのやり取りは何回目かわかったものではない。彼らが明確に出会ったのは五百年ほど前であった。そしてこの季節に二人が出会えば、決まってこの話をするのだ。ある意味、一種の挨拶とも取れる。
クロウと聖女は両者とも箱庭ができた頃から生きている。そのためクロウは一方的に聖女のことを認知していた。箱庭ができたばかりの時は誰しもが新たな生活に困惑していた。そんな人々をまとめようとしたのが聖女だった。
厄災の進行が穏やかであった頃からその傾向はあったが、箱庭が完成してからは聖女が中心となった。それは当時箱庭を創った者たち、今で言う神々は箱庭完成後に姿を消してしまったからだ。しかしなぜ神々が姿を隠したのかは本人たちと聖女以外、誰も知らない。
「皮肉ですか? そうとも限りませんよ、永遠の平和を守ったのは私なんですから」
「永遠の平和ねぇ……」
「あぁ、オルフィのことですよ。私はもともとこの世界が平和だとは一欠片も思ってませんし」
聖女が見つめる先にはオルフィがある。しかしクロウにはそれよりも先、どこか遠くを見ているように思えた。彼女の意外な言葉に驚くが、それを表に出さずに淡々と問いかける。
「聖女サマがそんなこと言っていいのか?」
「本当はダメですよ。これは貴方と私の秘密にしておいてください」
彼女は自身の最大限のあざとさを引き出し、片目を瞑って人差し指を唇に当てた。クロウはため息をつきながら小さく「はいよ」と返事をする。
「いえ、私も最初は平和のために必死に頑張ってましたね。でも、疲れてしまったのです。千年は長過ぎました」
彼女はすぐに首を振って否定の言葉を重ねた。
「いえ、言い訳ですね。私が弱かっただけです」
「アンタは上手くやってるよ」
「聖女サマ呼びはもう良いんですか? それと、貴方からの慰めの言葉はいりませんよ」
きっとクロウは別に慰めのつもりではないと言うだろう。事実、聖女は強い。五百年前に挑んだ際にはクロウは彼女に完敗したのだから。それは今挑んでも同じことが言えるはずだ。
「少し話しすぎました。これも貴方が面倒な案件を持ってくるから悪いんです」
「はは、俺のせいかよ? そりゃあない」
「ふふ、冗談ですよ。面白そうなので一枚噛ませていただきました」
聖女はふと立ち上がると、クロウにも立ち上がるよう指示する。クロウは怪訝そうな目線を送るも、仮面越しには聖女に伝わらない。仕方なく立ち上がると聖女はクロウを見ながら小さくうなりだした。
「どうしたんだ?」
「できました」
そう言って彼女が見せたのは即興で作った教会の制服だった。その場で作ったとは思えない仕上がりである。クロウはその出来の良さに素直に感心する。
「貴方もそれを着てください。貴方の格好は教会で目立ちすぎます」
「お気遣い感謝するよ。ただそれを着ることはできないな」
「そうですか」
「黒になって移動するからそれで勘弁してくれ」
「それなら良いですよ。時間も良い具合ですし、そろそろ行きましょうか」
「りょーかい」
クロウは聖女の言葉に適当な返事を返し、自身の身体を黒い霧に変える。そして懐に収まるほどの小ささまで凝縮された黒は聖女の装束の内側に入り込んだ。
聖女は窮屈に感じる私室から足を踏み出して別の部屋へ向かう。行く先は聖女直属の騎士が集う場、またの名を会議という。
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