一人の死者と幾千の魂 43話:血と猟奇

一人の死者と幾千の魂

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血と猟奇

 深夜の薬屋にて。

「先を通すことはできないんですよ。ごめんなさいね?」

「ごめんなさいもなにも、ここは私たちの家なんですが」

 灰色の髪をした若い少女と、シグノアが対峙していた。彼女は真夜中によく響く声で楽しげな笑みを浮かべている。反対にシグノアは心底つまらなそうな表情をしていた。

「アレにここを通すなと言われているのよ」

「それなら押し通るまで」

 シグノアは彼女と会話する様子を見せることなく、手に持った剣で彼女を文字通り一刀両断した。細身のシグノアからは考えにくい力業で斬られた彼女は盛大に血を吹き出しながら地に伏せた。先を急がなければならないシグノアは無駄な会話だと判断したのだろう。

 クロウに出し抜かれて、ヴァンをみすみすと見逃したのは失態だった。しかしヴァンを見失ってからあまり時間が経っていない。今からヴァンを追えば、戦闘になる前にヴァンを処理できる。

「だから、通らせないって言ってるでしょ?」

 だが、それは今から追うことができればの話である。死んだはずの少女の血肉がうごめいて、肉体がみるみるうちに癒えていく。シグノアに斬られたはずの少女は何事もなかったかのように立ち上がって微笑んだ。

「面倒なことになりましたね」

 シグノアは小さく呟くと再び剣を振るった。彼女は躊躇なく自らの腕を差し出してその剣を受け止めた。切り飛ばすことなく、骨で止まった剣はすぐに始まる肉体の再生に飲み込まれて固定されてしまう。

 シグノアは固定された剣を引いて、彼女ごと自身の方へ引き寄せる。彼女は距離を詰められることを想定していなかったようで、成されるままに隙を晒してしまう。そして小さなナイフを手にしたシグノアは無防備な彼女の首元を掻っ切った。

 彼女は再び血を溢れさせるが、後退することはせずにシグノアに拳を叩き込む。そこに洗練された武はないが、発せられる衝撃はシグノアを弾き飛ばすほどだった。シグノアは顔に掛かった血を手で拭いながら血肉の少女を凝視する。

 魔力を用いて彼女の中を覗きながら戦っていたが、先の一撃を予測することはできなかった。それは彼女が思考することなく身体を動かしているからだろう。

 少し武道をかじっていれば、少しくらいは考えて拳を振るう。感覚で戦うにしても、そこには感覚に至るまでの裏付けされた武があり、無意識的に思考が働いている。シグノアはそういった思考を覗き、封殺する戦術を得意としていた。

 しかし彼女にはそういった思考が見られなかった。彼女が持つのは単純な生存本能であり、死への恐怖であった。不死が死を恐怖するという歪な感情は彼女を死地の中へ飛び込ませた。ここで諦めてしまえば、何をされるかわかったものではないから。

「あは、はははっ」

「……貴方も被害者の一人ですか。ここで消耗したくはないのですが、仕方ありませんね」

「ははは、はは? なんでヴェリドのためにそこまでするの?」

 なにか大切なものが欠けてしまった少女は壊れたように笑う。それは質の悪い人形のようだった。顎をカタカタと鳴らしながら笑う、そんな人形。肉体に理性が追いついてまともな思考を取り戻すまで、彼女は不気味に笑い続けていた。

 シグノアは身体強化のみに瘴気を用いていたが、外部に瘴気を展開することにした。できるだけ早くヴェリドのもとに行かなければならないと判断したからだ。

 シグノアは紐付きナイフを彼女の顔に向けて瘴気で打ち出す。彼女は腕で顔を守るが、紐付きナイフは軌道を変えて取り込まれた剣の柄に絡まった。シグノアが紐を思いっきり引くと、剣は彼女の腕を傷つけながら引き抜かれる。

 剣を取り戻したシグノアは彼女を殺し続けた。理性が戻る間もなくひたすらに斬った。彼女も必死に応戦するが、技術や瘴気の出力などほぼ全ての面で劣っていた。唯一、優れている魔力も基礎能力の差で追いつかれていた。

 シグノアに殺され続けたことで彼女の再生速度は目に見えるほど低下していた。シグノアは頃合いを見計らって、不意に切り飛ばした腕の一本を拾った。肩周りの肉をナイフで削ぎ落とし、瘴気でむき出しになった骨の形を整える。

 シグノアは四肢を失って床でもがく彼女の正面に立って、彼女の腹に先端が尖ったそれを突き立てた。彼女の腕は自らの腹を貫いて床にまで到達していた。彼の剣が再生によって固定されたように、彼女自身の腕もまた床に刺さったまま固定されてしまう。

 死と再生を繰り返し消耗した彼女にその腕を抜く手段はなかった。彼女を無力化することに成功したシグノアの顔は普段と変わりないものだった。彼にとってそれを成すのはただの作業の一つでしかなかったのだ。

「私に大切な感情を教えてくれるような気がしたから、ですかね」

 シグノアは床で壊れたように笑い続ける少女に小さく呟く。彼女が聞くことができないのはわかっていて、あえて口に出したのだろう。その真意は誰にもわからない。ただ一つ言えるのは彼も一人の魔人であるということだけだ。

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