一人の死者と幾千の魂 39話:過去は霞と共に

一人の死者と幾千の魂

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過去は霞と共に

 ヴェリドがリヴェルと戦いを繰り広げる中、ガーリィは森の深い闇の中に目を向ける。彼女は黒に塗りつぶされて何も見えないはずのそこに言葉を投げかけた。

「隠れているんだろう? 出てこい」

 その言葉はヴェリドやリヴェルが発する音に比べて小さなものだった。戦闘音も相まって耳を澄ませなければ聞き取れないような声量であったが、言葉を投げかけられた方はすぐに姿を表した。

 姿を表したのは歳が七十くらいのどこにでもいそうな男だった。強いて特徴を挙げるとするならば汚くくたびれた教会の制服と深い緑色の髪だが、それも特別珍しいわけではない。その男はヘラヘラと薄い笑みを浮かべて両手を上げてガーリィに語りかける。

「いやー、まいったね。こんなに早く見つかるとは思わなかったよ。これでも隠れるのには自信があったんだけどなぁ」

「ふざけた態度を改めろ。今すぐ殺すぞ」

「オジサンはそう簡単に変われないよー。長いことオジサンしてるからねぇ。それにどのみち殺そうとするでしょ?」

「よくわかってるじゃないか」

 ガーリィが語気を強めるも、その男はふざけた様子のままだ。目を細めて薄い笑みを貼り付けた表情はあまりにも胡散臭い。ガーリィは男の返答に犬歯を見せるように口角を上げる。

 口角を上げると同時に、ガーリィは男との距離を詰めて息の根を止めようとした。しかしガーリィが男に触れた瞬間、男は霞のように消えてしまった。

「やめてよー、いきなりはびっくりしちゃうでしょ。ちゃんと挨拶はしなきゃ。よろしくお願いしますって」

「お前何をした? お前の目的はなんだ?」

「お嬢さんや、知識欲があるのは肝心だけど、質問攻めにされるとオジサン困っちゃうよ。仲良くお話しよ?」

「あたしは生憎あいにくお嬢さんという歳ではないのでな。仲良くという訳にもいかないな」

 ガーリィは時折予備動作なく男に攻撃を仕掛けるも、先程のように霞によって躱されてしまう。ガーリィは数回繰り返せばタネが割れると踏んでいたが、なかなか御力の実態を掴むことができないでいた。魔力で意識を奪おうにも人間相手には難しい。

「まったく照れ屋さんだなー。そんなにツンツンしなくていいのに。自分に素直になれないガーリィちゃんのためにオジサンから質問するね? 今日はどんな下着をつけてるの?」

「……気色悪い」

 ガーリィから漏れた言葉は色々な感情が詰まったものだった。一つは単純に気色悪い質問に対しての感想であり、嫌悪感や呆れ、殺意の感情。もう一つは男がガーリィの名前を知っているということに対する驚きや危機感であった。

 ヴェリドと話をしているときには男の気配を感じなかったため、ガーリィは自分の名前を知られていることに驚いたのだ。

「あ、もうすぐ六十歳になるとか気にしてないよ? オジサンにとって大事なのは可愛いか可愛くないか、ただそれだけだよ。その点、ガーリィちゃんは見た目はとっても可愛いピチピチの二十代って感じ。きれいな赤い髪とかスラッとした指とか、しゃぶりたくなっちゃうよねぇ」

「……」

 ガーリィは男に返す言葉を持たなかった。名前くらいならば、多少調べれば情報が出てくるだろう。街で生活しているのだから、名前くらいの情報は簡単に手に入る。名前を知られているのも十分に嫌悪するに値するが。

 しかし年齢となれば話は別だ。街の人たちにはガーリィは身体の年齢と同じ年齢で通している。決して魔人としての年齢は明かしていなかった。それなのに目の前の男は軽々とそのことを話している。ガーリィは男に対する警戒を一段と強めた。

「やめてよー、そんなに引かないで。あれはオジサンの冗談だよ、安心して。駄目だねぇ、女の子と話してると口が緩んじゃうなぁ」

「口が緩んでるついでに質問に答えろ。お前はあたしのどこまで知っている? 何をしにここに来た?」

 ガーリィは溢れる殺意を押し留めて、冷静であるように努める。ここで情報を引き出せずに逃げられるのは悪手過ぎる。

「質問に答えるのは良いけど、オジサンの質問にも答えてほしいなぁ」

「下着の色は茶色だ。何しにここに来た?」

「色気がないなぁ。……そんな怖い顔しないでよ。うーんとねぇ、質問の方だよね。お猿さんたちじゃ竜を殺せなさそうだから、オジサンが代わりに来たの。まぁガーリィちゃんの連れがやってくれそうだから見届けたら帰るよ」

 ガーリィは適当に答え、下着についての気色悪い雑談が入る前にガーリィは鋭い目つきで睨みつけた。男はそれにわざとらしく反応して質問について話し始める。ガーリィの見立て通り、魔猿は誰かに使役されているようだった。彼女は誰かというのはおおよそ教会関係者だろうと予測を立てた。

「オジサンの次の質問は、そうだなぁ。竜と戦ってる彼はどんな子なの?」

「アイツの素性はあたしもよくわからん。クロウが連れてきたやつだからな」

「クロウって誰?」

「次の質問はあたしだ」

「むちゃくちゃじゃない? オジサンちゃんと答えて貰ってないよ……」

「あたしのことをどこまで知っている?」

「えぇ、それホントに言ってる? オジサン悲しいよ……」

 男はこれまたわざとらしく目元に手を当てて泣き真似をした。男を見ているとまるでシクシクと聞こえてくるようだ。ガーリィはそんな男の姿に苛立ちを感じて舌打ちをする。

「質問に答えろ。どこまでだ?」

「ガーリィちゃんは変わらないねぇ、五十年前から。オジサンたち騎士を見る目が貧民街の頃から変わってないよ。懐かしいなぁ。薄暗い路地裏で薄汚く小さくなってたガーリィちゃん」

「……何を言ってる?」

「覚えてないなら思い出させてあげる。確か、あの街はナウィソッスって言ったかな? あのときのことしっかり覚えているよ。あそこで最後まで殺意のこもった目でオジサン達を見てたよねぇ」

「やめろ!」

 男は過去を懐かしむように笑いながら話し続ける。男が表情を変えずに口角を上げて話すのに対して、ガーリィの表情はひどく歪んでいた。

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