一人の死者と幾千の魂 67話:魔人の物語

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 ヴェリドは瘴気水子の子どもたちについてクロウに聞かれたが、そのことには一切触れず、眠るリルリットを腕に抱きながらクロウを睨む。クロウはそんなヴェルドを意に介さず嗤った。

「はは、怖い怖い。そんな眼もできるようになったんだな。いっそのこと、ここで殺してみるか? どうなるか見物じゃないか」

「そんなこと絶対に許さない。リルちゃんはボクが絶対に守る」

 ヴェリドは今まで誰に対しても見せることがなかった本物の殺意をむき出しにして紫紺の魔剣を構える。この瞬間に創り出された魔剣はつや消しで鋭く、まるでヴェリドの殺意を表しているようだった。

 紫紺の魔剣に纏った澄みきった暗い殺意に、クロウは仮面の下で笑みを浮かべる。それは普段クロウが見せる乾いた笑いではなく、全ての心が喜びを示す、本当の笑みであった。

「俺なりの冗談じゃないか、真に受けないでおくれよ。もっとも、俺は冗談のつもりだが他のやつは知らないけど」

「……何が言いたい」

 ヴェリドは殺意を緩めることなく、眉をひそめる。ヴェリドはいつでも魔剣を振るえるようにリルリットをそっとフローリングに寝かせた。

「教会の奴らが魔人を許さないってだけだよ。聖女は逃してくれたかもしれないが、教会から騎士たちにアークの魂を探す指示が出ているのさ」

 クロウは聖女を誑かしてアークの魂を集めさせる策を、あたかも自分は関与していないかのように語った。このシナリオもクロウが作った「物語」の一部である。

 聖女がヴェリドを逃したのは少し意外ではあったが、自分がヴェリドと名付けた少年と聖女の間に大きな謎があることがわかった。もともと謎の存在と中身の予測はしていたが、その両者の間にある関係が確かなものであると知ったのはクロウにとって小さな収穫だった。

 ここまでの「物語」はクロウの思惑を大きく外れることなく進んできた。リルリットの存在は予想外だったが、その存在をクロウは歓迎していた。クロウは不完全な自分によって作られた「物語」にリルリットという不確定要素が加わることで、真の「物語」が完成すると考えていたからだ。

「さぁ、改めてお前に問おう。お前には二つの選択肢がある。これから起こるであろう悲劇から逃れるためにリルリットと死ぬか、お前の大切なものを守るために魔人として悲劇に立ち向かうかだ」

 クロウは名もなき少年に選択を迫った時と同じように、ヴェリドに問う。かつて少年に問いかけたときは、人として死ぬか魔人として生きるかの二択だった。少年は人としての道などなかったと一笑に付し、魔人の道を選んだ。

 彼が魔人としての道を歩んだのは自らを貫くためではなく、ただ人として死ぬということが想像できなかったからだ。

 しかし消極的な理由で選んだ道が魔人の道など、あり得るはずがない。魔人とは自らの強い想いが魔力という形をもって現れた者のことだ。今までのヴェリドはアークの魂によって魔力が発現した、アークの依代でしかない。

 だからこそクロウは再び同じ問いを投げかけた。それはかつての問いと同じであっても、そこにある意味は大きく異なっている。

「選択肢? それ以上ふざけたことを言うな。ボクはお前に選択肢を与えられたからこの子を守るわけじゃない。リルちゃんを守りたいから守るんだよ」

 その声は決して大きいわけではなかった。絶望に叩きのめされた叫びでも、絶望の中での沈黙でもない。静かでありながらも、力強い声だった。

 はっきりと言い切ったヴェリドは自分の視線を守るべき存在であるリルリットに向けた。本来、右の眼窩に無いはずの瞳にリルリットの姿が写る。リルリットはクロウに眠らされたとは思えないほど、寝息を立てて穏やかに眠っていた。

 クロウはヴェリドがリルリットに向ける穏やかな眼差しに灯る蒼い光を見た。紫紺の魔剣とは違うそれを見て、クロウは大きく息を吸い込み、全てを吐き切って笑った。

「最高だよヴェリド、それでこそ魔人だ。それじゃあ達者でな。騎士には気をつけて」

「……お前もなぁ!」

 クロウはおどけた調子でヒラヒラと手を振った。その瞬間ヴェリドはクロウに肉薄し、座るクロウの首筋をなぞるように魔剣を振り抜く。魔剣は的確にクロウの首筋を捉え、その体を切り裂いたように見えた。しかし実際にクロウを斬ることはなく、闇に消えたクロウの跡をなぞっただけだった。

「……お前は何がしたいんだ」

 ヴェリドはクロウがいなくなった部屋で独りごちる。もちろん答える者はそこにはおらず、ヴェリドの言葉はただ静寂に飲まれるだけだった。

 月光はヴェリドとリルリットの影を引き、静かな部屋を照らした。仄かな月光に照らされた部屋には力無く横たわる夫婦と乾いた赤色が広がっていた。次第に月に雲がかかり、部屋に影が充満していく。フローリングに塗られた赤色は満たされる影に上塗りされて見えなくなっていった。

 雲が晴れ再び月光が差した時、部屋には誰もいなかった。

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