一人の死者と幾千の魂 92話:動き出す者たち

一人の死者と幾千の魂

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「おいお前、シグノアはどこだ」

「どこだと言われても困りますよ……」

 ガーリィはカプティルの街を跋扈する魔獣たちに眉をひそめる。見知らぬ男にシグノアからの伝言だと言われ、中央まで連れてこられたことでガーリィは苛ついていた。

 だが、不機嫌なことには変わりないが、街の光景を見たことでシグノアが言わんとすることは十分に伝わってきた。

 ガーリィはこの街に何が起きているのかは知らない。知ろうともしないだろう。ただ、シグノアが助けを求めるのなら、それがヴェリドのためならば、ガーリィは彼らを信じるまで。

 かつてのガーリィなら誰かのために行動する事はなかっただろう。良くも悪くも一人で誰も寄せ付けないような空気を纏っていた。

 彼女を変えたのは、決して綺麗な目をしているとは言えない瘴気の子だった。だが、少年は穢れを宿しているとは思えないほど純粋だった。

「鬱陶しいな」

 ガーリィは襲いかかってくる魔獣を圧倒的な怪力でねじ伏せる。見かけによらぬ力は魔力によって支えられていた。

 すぐそばにいるジーンは驚きの目でガーリィを見る。華奢な身体に似つかない力は一目見れば魔力からくるものだと想像できる。しかし、その根に流れる力というものが見えてこなかった。

 二人は魔獣をいなしながら、教会の中央に近づいていく。すると小汚い緑色がこちらに向かってくるのが見えた。

 瞬間、ガーリィは殺意をむき出しにし、向かってくるなにかに飛びかかった。

「死ねぇ! クソジジィ!」

「久々の再会なのに、そりゃ無くない?」

 遠くてはっきり見えなかった人影が近づいてくることでその正体がわかる。それはジーンと合流しようとするディアフォンだった。

「お前は殺さなくては気が済まん」

 ディアフォンは先の歓迎をひらりと躱わし軽口を叩くが、ガーリィは聞く耳を持たない。ガーリィは即座に向き直り、ぬいぐるみ用の裁縫針を放つ。

 ディアフォンは風で針を巻き上げるが、反転の魔力により針が向きを変えてディアフォンに牙を剥く。

「嬢ちゃんがその気ならオジサンも頑張っちゃうぞ?」

「二人とも落ち着いてください!」

 戦場の片隅で、小さな争いが幕を開けた。

※×※×※

 ヴェリドの体躯を借りた何者かが、聖女に向かって猛烈な勢いで駆けて行く。聖女がそれに気づき宙に浮かぶと、怪物も同じく宙に浮き聖女に迫る。

 それを見ていたシグノアは違和感を感じ、二人の元へ向かおうとする。しかし彼らと分断するように大地の防壁が立ちはだかった。大地が隆起するのと同時に、奇形の魔獣たちが周囲に溢れ出す。

「邪魔をしないで頂きたい!」

 突如現れた魔獣たちはシグノアを見るやいなや襲いかかる。シグノアはくくりナイフを隆起した壁に放ち、宙を舞って魔獣たちから逃れた。シグノアは魔獣の群れの後ろにいる人物に向かって苛立ちをぶつける。

「聖女様が願ったのよ? それに聖女様は尊きお方。お前のような野蛮人が視界に入れていいような存在じゃないの」

 アークを宿した騎士であるミアが、襲いくる魔獣の後方で忌々しく言葉を吐く。シグノアが瘴霧の森の竜の亡骸と繋がり確認したアーク、そのうち肉塊に吸収されていない数少ない例外の一人が彼女だった。

 彼女は騎士としての任務の最中、魔獣に殺された。アークによって蘇った時、魔獣を作り出す力を得た。街に蔓延る魔獣たちは全て彼女が作り出したものであり、魔猿もそのうちの一種だった。

 シグノアには魔獣に作り替えられた人間の声がはっきりと聞こえた。苦しみに彩られた魔獣の声を不快に思うものの、そのことを表情には出さない。

「この惨状が貴方の言う聖女の望みだと言うのですか!?」

 街を闊歩する魔獣に虐殺される民。救いを求める彼らを輪廻の輪に還す苦行。何より、聖女は誰よりも救いを求めていた。

 千年前の青年が願ったから、聖女は今まで箱庭を維持し続けた。しかし彼が望んだ世界に青年の姿はなかった。青年のために創りし世界に青年がいないのなら、この世界に意味などない。千年維持し続けた箱庭だったが、それももうおしまいだ。

「聖女様を推し量ろうなどと言う傲慢を、私は持ち合わせていないの」

 そう言い放つミアの目はシグノアをまっすぐと貫いた。その意思は狂気じみているが、決して揺らぐ事のないことがはっきりとわかる。もはや和解は不可能だと判断したシグノアは、溢れる魔獣を飛び越えてミアを狙う。

 シグノアが土壁を足場に跳躍しようとするが、土壁は力が加わった瞬間崩れ落ちる。魔獣たちはその隙を見逃さず、シグノアに喰らいついた。

 シグノアの魔力は対人戦では無類の強さを誇るが、物量攻撃に対しては突破力に欠ける。シグノアは懐に忍ばせていた短刀で魔獣を切るが致命傷とはならない。致命傷となる攻撃に対しては迎撃するものの、次第に傷が増えていく。四肢には魔獣に切り裂かれた傷や噛みつかれた個所があり、血が脈々と流れていた。

 シグノアは呻き声を上げながらも、ヴェリドたちの方へ視線を向ける。ヴェリドの象徴たる魔剣はその姿を黒く染め、ヴェリドの躯は黒き翼を生やしながら暴力的な闇を振るっている。

 ヴェリドではない何かを止めるためにも、どうにかしてミアを対処しなければならない。シグノアは全身から瘴気を吹き出し、四肢に喰らいつく魔獣を振り払うが、すぐさま新たな魔獣が襲いかかる。

 使い捨てにできる獣相手になす術なく、シグノアは肉はおろか骨すら残らず喰らわれると見えた。

「だめだよ。おじさんをいじめちゃだめ」

 気づけばミアの頬に手が添えられていた。小さくて柔らかい幼子の手だ。体が触れ合うほど接近して、ようやくアークの鼓動が聞こえる。

「うるさい! 誰だか知らないが――」

 その続きを話そうとしたところでミアの頬が塵となり崩れる。振り向くとそこにはリルリットの姿があった。二アレイジにしたように、同じことを繰り返す。瘴気の本流が全身を駆け巡ると一瞬のうちにミンチと化した。

 それはアークの力に起因していた。魔猿から齎された瘴気によって死んだリルリットは、圧倒的なまでの瘴気と操作性を手に入れたのだ。アークによって手に入れた力があれば、油断した相手ならたやすく処理できる。

「ヴェリド……もういいよ、リルはここだよ」

 ヴェリドを想う彼女は怪物に成り果てた彼を見て、ただそう呟いた。

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