死にかける！
竜の咆哮が否応なくヴェリドを戦いに引き込む。彼はまだ観察していたいと考えるが、そんな悠長なことは言ってられない。
竜は見た目の鈍重さを感じさせない速い動きでヴェリドに詰め寄り、そのままの勢いで爪を振るう。竜にとっては様子見の一撃、しかし彼にとっては即死の一撃であり、それをもらうことは絶対に許されない。彼はその一撃を全力の横飛びで回避する。
ヴェリドは回避するも余裕無く地面に転がった。彼には今まで外に出て動いた経験などない。森を歩くということだけで彼の体力は底を突きかけていた。そんな彼が竜の爪撃を躱したことは奇跡に等しい。
爪撃を空かした竜は前足を軸に旋回し、転がるヴェリドに尻尾を叩きつける。本来なら当たるはずの攻撃だったが、クロウがヴェリドを掴んで下がることでそれに当たることはなかった。
「ヴェリド、俺の魔力貸してやるからもう少し頑張って」
クロウはヴェリドを掴んでいた方と反対の手からヴェリドより一回り小さい黒い鴉を生み出した。鴉がクロウの手から羽ばたき、ヴェリドの背中と一体化した。鴉の胴体はヴェリドの体に埋もれて見えない。ヴェリドの姿はまるで背中から翼が生えているかのように見える。
「そいつはお前の体力温存と緊急回避のための翼さ。翼が消えたら死合終了だよ。最初は感覚がつかめないかもしれないけどうまく使って」
クロウはそう言うと竜とヴェリドから距離を取り、戦いの成り行きを眺められる場所に移動する。どうやらこれ以上干渉するつもりはないらしい。ヴェリドは背中に意識を向けて翼を動かそうとする。翼が彼の考えを受け取り、竜と対面するように位置取った。
竜は先程と変わって受けの構えを見せる。しかしヴェリドは攻撃手段を有していない。しばらく睨み合いが続いたが、しびれを切らしたのはヴェリド、ではなく彼の魂だった。竜と対面してから聞こえないはずの魂の意思が絶えずヴェリドの中に流れていたが、その意思に違うものが混ざっていた。
ヴェリドは魂が自分の力を使えと言っているような気がした。竜に隙を見せないようにしながら胸の傷にそっと手を当てる。彼はまるでその存在を知っていたかのように胸元からそれを引き抜く。
それは美しい紫紺の魔剣。彼の魔剣はかつて彼を貫いた光の剣に酷似している。光剣に刻まれていたように、紫の剣にも文様が刻まれている。
ヴェリドは紫紺を手にして竜に向かって駆ける。竜は彼を叩き潰そうと前足を叩きつける。勢いを殺して攻撃を空かし、ヴェリドは体の横に持っていた剣を薙ぐ。しかしひ弱な彼では竜の鱗に阻まれ肉を切ることはできなかった。
竜も反撃とばかりにヴェリドを薙ぎ払う。体を引こうとするも間に合わず、ヴェリドは正面から一撃をもらい吹き飛ばされる。ヴェリドは背中に来るであろう衝撃に備えるが、衝撃はいつになってもやってこない。翼が彼を衝撃から守ったのだ。
「二殺」
ヴェリドが吹き飛ばされているところに竜が追い打ちをかける。その手段は単純な体当たり。彼より遥かに大きい図体による体当たりは彼にとって十分な脅威だ。
ヴェリドは自分だけの力だけでは竜に傷をつけられないとわかっていた。竜の突撃に合わせて剣を突き立てれば竜に傷を負わせることができることも。それに翼がいつまで保つかわからない。できるだけ短期決戦であることが望ましい。
ヴェリドは竜の前足の付け根を狙い剣を構える。剣の切っ先が揺れるのは恐怖なのか筋疲労なのかわからない。竜とぶつかる瞬間を逃さぬように両目を見開く。ヴェリドは眼球がないはずの右目でも何かが見える気がした。極限の集中の中で紫紺を竜に突き刺し、ヴェリドは竜の下に潜る。
竜は手痛い反撃に悲鳴を上げ身をよじる。痛みを地面に分散するように尻尾を地面に打ち付ける。龍の下にいたヴェリドはその出鱈目な攻撃を受け、尻尾と一緒に地面に叩きつけられる。尾が当たる前に背中の黒がヴェリドを覆いヴェリドを守ったが、瘴気が尽きたのか翼が消えてしまった。
「三殺、死合終了だよ」
ヴェリドが再び尻尾と共に地面に叩きつけられないように、クロウが新たな鴉でヴェリドを回収した。
「待ってください！ ボクはまだやれます！」
「何ができるっていうんだい？ 君は俺の力を借りて竜に一撃入れただけじゃないか。言い方が悪くなるけど、俺の力がなければ君は機動力がない雑魚だよ。それでも奴に一撃を入れたことは素晴らしいことだと思うけどさ」
ヴェリドはタメ口ではなく元の口調である敬語で叫ぶが、クロウの冷静な声と言葉に彼は表情を歪める。戦闘が終わり心が落ち着いたからだろうか、竜に刺さった紫紺が消えてしまう。
「君は瘴気の扱い方を知らないからあの魔剣の制御だって怪しい。元の目的は魔力の発現だから今回のことは上出来なんだけどさ。それにさ、あれを見て」
クロウが竜に向かって指差す。竜から流れた血が自身の傷を素早く再生し、ヴェリドが切りつけた傷は既に癒えていた。竜が二人に向かって突撃してくるが、クロウの鴉で空中に退避する。
「君が魔力を使ったようにあの竜も魔力を持つ。君が感じたように、あの竜もアークの魂をもっているから当然だよ」
「……ボクは強くなれますか？」
「もちろんだよ。そんなに悔しいなら強くなってから奴と再戦すれば良いさ」
ヴェリドの中には様々な感情が渦巻いていた。生きていることへの安堵、強くなろうという向上心、次に竜と戦うときは勝ってやるという対抗心。だが彼の胸にある一番の感情は悔しさだった。クロウの何ができるかという問いに答えられなかったこと。クロウの言葉を聞いてそのとおりだと思ってしまったこと。クロウの言葉がグサグサと彼の胸に刺さった。
「……はい」
それは今のヴェリドが出せる唯一の言葉だった。
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