どうやら俺は普通の人間ではないらしい。そう気づいたのはシリオンと話すようになってからだ。
俺には親がいない。親に捨てられたなどではなく、本当にいないのだ。世界が俺を産んだというのなら、俺の親は世界ということになる。
生まれてからすぐ、この身体に宿る力に気がついた。大いなる巨木の力、世界の始まりであり根源から溢れる力だ。その力は俺の中で渦巻き、食い破り溢れんとする。小さな人の身体に収まって良いものではなかった。
世界に産み落とされた俺は黒髪黒目。それは世界の憎悪が身体に現れたのだと言い伝えられている。それはきっと間違っていない。だから俺を見つけて、すぐに殺そうとした村人たちは間違ってなかった。
俺は死を覚悟したが、剣をかざす彼を止めたのは一人の少女だった。
「この子に罪はありません! こんなに小さな子が殺されることなんてあるものですか!」
言われて初めて、俺は赤子なのだと気づいた。生まれ持つ力の大きさに、そのことに気が付かなかったのだ。はっきりと思考ができていたということも、自分の身体をはっきりと認識できなかった理由の一つだろう。
村人たちはそれでも俺を殺そうとしたがシリオンが説得し、俺は村に招き入れられた。村に連れ帰られた時も大きな反発があったが、シリオンが皆を説得して回ったのだ。
きっとこのことをシリオンに感謝しても、シリオンはなんでもないというだろう。第一俺がこのことを知っているとはつゆも思わないはずだ。俺はただ、シリオンへの感謝を胸のうちに留めておいた。
初めはこの力を使うつもりなどなかった。だが魔獣に襲われる仲間を見て、半ば無意識に手を伸ばしていた。確か七歳くらいのことだった。
最初は驚かれたが、特殊な髪色のこともあって大きな騒ぎにはならなかった。
「お前は何をしても不思議じゃない」
なんて事は何か特別なことがあるたびに言われたものだ。茶柱が三本立った時に言われたのは解せなかったが。
俺はこの力を使うつもりはないというと、仲間たちは宝の持ち腐れだと言った。最初は抵抗したが、彼らに言いくるめられて力の訓練をするようになった。
村長の話を聞くに、この力は魔力というらしかった。暴れるような根源の力も、訓練をすればある程度は制御できることが分かった。
それでもやはり、この力を使うつもりにはなれなかった。力を使えば使うほど、この力は自分の身に余ると思ったからだ。それに力を使うたび、人であるための感情をすり減らしているようにも感じた。
この力以外にも、他の人に比べて体が丈夫で体術もそこそこ以上にできた。俺が大きくなると、街への買い出しに行く時に護衛として駆り出されるようになった。
ある日、いつものように買い出しから村に帰ると、竜が箱庭の外壁を破って現れた。立ち向かうには絶望的な力の差。この身に宿る力でさえも竜には届かない。そう思わせるほどの存在感だった。
しかし流浪の旅人のおかげで村は壊滅的だったものの、落とした命の数はうんと小さかった。旅人はクロウと名乗った。俺たちはクロウに感謝して、夜が明けるまで宴を行った。それが絶望を齎すと知らずに。
クロウは俺たちが見たことないような、世界のいろいろな事を教えてくれた。中でもクロウの語る中央教会の話に、村の皆は釘付けだった。シリオンの目にも憧れが浮かんでいたのはよく覚えている。
彼の旅の話の代わりに、クロウは俺の力のことを尋ねてきた。物知りな彼ならばこの力のことを知っているのではないかと、戦いの高揚も相まって話してしまったのだ。
昨夜、シリオンの目に憧れが浮かんでいたのを見ていたのだろう。クロウは中央教会に伝手があると言い、話をしてみると言った。
村のみんなは半信半疑だったが、しばらくすると本当に中央から騎士が派遣されてきた。騎士たちのことなど見たことない村の人たちは、大騒ぎしてはしゃいでいる。しかし村人たちとは対照的に、騎士たちはひどく冷たい目をしていた。
何もなく騎士が来るわけないので話を聞くと、どうやら彼らは竜の屍を調査しに来たようだった。竜の屍はいつの間にか大樹に姿を変えていた。大樹を見て怪訝そうな顔をしていたが、何も言わずに崩壊した外壁を修復していた。
「シリオンという娘は前に出よ。拘留命令が出ている。抵抗しなければ無碍に扱いはせぬ。速やかに前に進み出よ」
何もなく村を去ると思われた騎士たちだったが、騎士隊長らしき人物がそう言った。
俺は何を言っているのか分からなかった。どうしてシリオンが連れて行かれるのだ。彼女は罪という罪を犯していない。騎士たちに失礼を働いたとしたとしても、その場で罰が下るはずだ。
「な、なにかうちのシリオンがなにかしましたか……?」
「娘は反逆の罪に問われている。魔人を教唆し、箱庭に牙を剥かんとした疑いがある。仔細を聞き入れる為、騎士の名の下に交流せよとの命」
「そんなわけ――」
「我らが尊き聖女様からの勅命である。それ以外になにか理由が必要と申すか?」
騎士は素早く剣を抜き、食い下がる村長の首に当てた。首にうっすらと血が滲む。
「……いえ、私の無礼をどうかお許しください。どうかシリオンに寛大な救いがありますように、フェイレル」
「うむ、下がれ」
騎士は剣を鞘に戻し、村長は頭を低くし後退した。騎士が纏う威圧感に、誰も口を開くことができない。中には膝をつく者や頭を垂れる者もいた。
「此度の竜災、誠に悼み申し上げる。どうか亡き者に救いがあらんことを、またこの地に繁栄があらんことを、フェイレル」
騎士たちが去って、街はあり得ないほどの静寂に覆われた。皆呆然とシリオンが消えた方を眺めている。姿が見えなくなってどれだけだったのだろうか、俺はただなんとなく大樹を見た。
身体に渦巻く力は泥のように重く、心に絡みついてくる。その時、大樹に見える暗闇と俺の力は同じなのだと気づいた。
クロウが言うには魔力は感情の力。村に来てから魔力だと思っていた力はきっと魔力ではない。きっと生まれ落ちる形を違えた竜のなり損ないが俺なのだと気づいた。
脳によぎるのは生まれ落ちた俺を救ってくれたシリオンの言葉だ。俺はその恩を忘れずに、常に胸に秘めていた。だと言うのに、俺はあの場で動けなかった。不甲斐ないことこの上ない。
俺じゃない何かが腹の底で蠢くのを感じる。なにかが俺に囁く。
――あああああァァァァッッッ!!!
俺は自身への怒りとそれに混じる憤怒を吐き出した。それは鴉という悪魔に作られた悲劇が動き始めた瞬間でもあった。
次の日、騎士たちと入れ替わるように、クロウが現れた。クロウは既にシリオンが連れ去られたことを聞いたようだった。
「シリオンを連れ戻さなくて良いのかい?」
――良いわけない!
「はは、それなら力が必要だ。ヤツから奪い返せ」
やつの目に潜む悪意に気づかず、俺は復讐の道を歩み始めた。
激しい怒りと共に身を焼く力こそ、魔力だと確信する。生まれ持った力、世界の根源の力とは似て非なるものだとはっきりとわかった。
だが、激情が渦巻くというのに、この身に宿る力が残酷なまでに冷静な思考をもたらすのだ。それはまるで感情を飲み込んでいるようだった。
あの時の竜も、このような気持ちで俺を見ていたのだろうか。冷め切った頭でそんなことを考えていた。
ふとした時に顔を出す冷静な思考はあるものの、復讐の道を降りることはなかった。俺を突き動かすのは身を焦がすほどの怒りと、それを象徴する魔力だった。
騎士を憎み、長たる聖女を殺すために、俺は騎士となった。クロウが贔屓したからか、騎士になるのは簡単だった。普通なら騎士になれるはずがないのに騎士になれた。それも今思えば全てが腑に落ちる。
俺は騎士となり内側から聖女を殺さんとした。この時点でクロウの手のひらの上だった。俺の願いはシリオンを取り戻すことであって、聖女を殺すことではない。怒りに呑まれた俺はクロウの手駒と成り果てたのだ。
騎士としてしばらく過ごした後、俺はついに聖女を殺そうと襲いかかった。しかし聖女の力は伊達ではなく、魔力と世界の力をもってしても押し切ることはできなかった。その時、シリオンの姿が見えた。帽子を深く被っていてはっきりとは見えなかったが、すぐにシリオンだと分かった。
シリオンはいきなり走り出し、俺と聖女の前に飛び出た。シリオンは聖女の御力によってひどい有り様となった。シリオンは俺をかばったかのように見えた。確かにその一撃を貰えば、俺は死んでいたのだろう。
だが、シリオンからクロウの気配を感じた。クロウの瘴気とシリオンの異様な行動、それ以外に感じて見逃した違和感。そこで俺は我に返った。
――クロウッッッ!!!
意識が混濁としている。
クロウに嵌められたのは分かる。
だが詳細が思い出せない……。
はっきりと覚えているのは、俺はクロウに殺されたということだけだ。
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