普段のヴェリドならクロウに縋るなどという愚行はしなかっただろう。しかし日常というには死が近すぎた。横たわる死体から流れて出た鮮やかな紅の血は、時が経ち暗赤色へと変わっていく。
「はは、シグノアは俺のもとであくせく仕事してもらってるよ。やっぱりシグノアの魔力は日常でこそ輝くものだからね」
その言葉は嘘ではないが、決して真実でもなかった。断片的に切り取られ、言葉によって編纂された真実は本当の意味での真実ではない。
シグノアはクロウのもとで任務をこなしているが、それはヴェリドのためであった。これから起こるであろう教会とヴェリドの戦い、その盤面に介入するためにクロウを使った。戦いのきっかけを作ったクロウを使うことこそが戦いに介入する一番の近道だったのだ。
「嘘をつくな。シグノアさんはそんなことしない」
「嘘じゃないさ。もしシグノアが俺の下にいないのなら、どうしてヴァンを止めなかった? シグノアはヴァンの殺意に気づいていたはずだろ? どうしてギリギリになって都合良く傷だらけのヴェリドの前に現れた? 最後はヴァンを生かすわけでもなく殺した。認めろよ、シグノアはお前の敵だ。お前の悲劇は作られたモノなのだから」
クロウの諭すような声がヴェリドの脳内を反復する。本来なら切り捨てるはずの言葉だが、ヴェリドの胸に渦巻く暗いものがクロウの言葉を飲み込んでしまう。
シグノアがヴェリドの敵であるなど妄言の類である。しかしヴェリドの胸の片隅に引っかかっていた光景が疑念を抱かせる。
自然な笑顔で差し出された血まみれの手。それはヴァンと刃を交えていた、当時のヴェリドに恐怖と疑いの心を持たせた。一度は消えた疑いが再び重くのしかかる。そしてクロウに吹き込まれた黒い感情を吸い上げて、限界まで膨らんだ懐疑心は弾けた。
「あ、あぁぁ……!」
ヴェリドはうめき声を上げながら、両手で歪んだ顔を覆う。熱を持った冷たさが手のひらを伝った。そうして初めてヴェリドは自分が涙を流していることを自覚した。
「はは、シグノアはそんな感じだけど、まだ話すことがあるんだよね。悲しいことと嬉しいこと、どっちから聞きたい?」
黒く重い感情に支配されたヴェリドにはその問いかけに答える余裕などなかった。あまりに残酷な物語が胸を苦しめる。
「返事がないみたいだから悲劇から話そうか。ぱんぱかぱーん、実はガーリィにも俺のために仕事してもらってました!」
雰囲気にそぐわない明るい調子で鴉が鳴いた。
「サーノティアの能力は不死なんだけどさ、それを発現させるために必要な条件ってなんだと思う? アークの力っていうのは生前の死因とか因縁とかが能力の軸になるんだけど、死を強く意識して、死だけを思って死ぬっていうのは案外難しいものなんだよね。憎しみとか困惑、恐怖は不死を作る上では不必要な感情がどうしても混じってしまう」
クロウは自らが作り出した「物語」を自慢しようとするように軽快に語る。
「だからそういった感情がなくなるまで感情をそいでから殺さないといけない。感情を削いだ上で死を強く思い、劇的な死を迎えないといけない。だけど感情を削ぐために痛めつけて、劇的な死を迎えてもらうために死体をぐちゃぐちゃにするんだ。だけどそうするとアークの欠片が肉体に宿ってくれないんだよ。そこでガーリィの出番だ」
ガーリィの名前を出した後に一呼吸を置いた。そして限界に近いヴェリドの精神により負荷をかけていく。クロウの言葉を無視するには心が弱りすぎた。クロウの声を遮るものはなにもない。
「なんと、一度バラした死体をガーリィの魔力で復元してもらうことで、アークの魂が結びつきやすくなるんだよ! 凄惨な死を迎えた状態の良い死体。はは、これほど整った不死を作るための条件はガーリィがいないと実現しなかった」
もはやヴェリドの精神は擦り切れる直前で、反論は愚か、虫の鳴くような息を漏らすのがやっとだった。
「それじゃあ悲しい話はお仕舞いにしよう。次は朗報だね。俺が仕組んだ人間関係は悲惨なことになっているけど、リルリットとの繋がりは紛れもないヴェリドの運命だよ」
これ以上追い込んでも得るものはないと考えたクロウは、壊れてしまいそうなヴェリドの精神をギリギリで引き止めるために、傷だらけの精神に甘い言葉を投げかける。
「本来ならリルリットはサーノティアが殺すはずだった。でも実際リルリットは生きている。それはヴェリドが守ろうと努力した結果であり、他ならぬリルリット自身の力だよ。いやぁ、それにしてもリルリットが瘴気水子の子どもたちを持っていたとはね。ずいぶん懐かしいものをどこで手に入れたんだい?」
クロウが言う瘴気水子の子どもたちとは、ヴェリドがリルリットに渡した髑髏の首飾りのことだ。瘴気水子の子どもたちは道具の形を取りながらも魔力を宿しているという特異的な性質を持っていた。
クロウはその首飾りの存在は知っており、過去にそれを見たことはあったが、魔力による防御障壁を見たのは初めてだった。
また、ヴェリドはリルリットとの関係がクロウによって謀られたものではないと知って、高まっていた緊張がごく僅かではあるが緩んだ。シグノアに、ガーリィに裏切られたと思う感情よりもリルリットとの思い出が偽物ではないことを安堵する気持ちを強く感じた。
ニアレイジ家に生まれた名無しの子がヴェリドになってから今まで、自らの歩んだ道がすべて仕組まれていたと知らされたのならば、通常の精神状態ではいられないだろう。だからこそ、本物の出会いであるリルリットだけが心の支えになっていたのだ。
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