一人の死者と幾千の魂 49話:にんじんきらい

一人の死者と幾千の魂

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にんじんきらい

「ごちそうさまでした」

 ボクは味がしないスープを飲み干して一息ついた。ボクの隣ではリルちゃんがひどく眉をひそめてスープを睨んでいる。何事かと思ってお皿を覗き込んでみると、人参だけが綺麗に取り残されていた。もともと小さなリルちゃんだが、その姿はもっと小さく見えた。

「……ゔぇりど、これあげる」

 ボクの視線に気づいたのかリルちゃんがこちらにお皿を突き出してそんな事を言った。きっとリルちゃんは人参が苦手なのだろう。リルちゃんの舌を突き出した、うへぇという言葉が聞こえてきそうな顔にボクは苦笑いするしかない。

「リル、好き嫌いしてたら大きくなれないぞ」

「おっきくなってるもん」

「人参が食べてほしいって言ってるよ」

「そんなのいってない」

 ヨープスさんやマリーさんがリルちゃんを説得しようとするも、リルちゃんはイヤイヤといった具合で、食べようとする気配は全く見られない。

「なんで人参嫌いなの?」

「やだから。おいしくない」

 理由にならない答えに、ボクはどうしたものかと頭を悩ませてしまう。少ししてからボクはこんな提案をしてみることにした。

「リルちゃんは人参が嫌いなんだよね?」

「ん」

「それじゃあ、ボクが人参を食べてあげる」

「ほんと!?」

 ボクの言葉にリルちゃんは顔を上げて満面の笑みを見せる。リルちゃんの笑顔を見て花が咲くようにというのはこういうことを言うんだと思った。

「本当だよ。でもリルちゃんが一個人参を食べたら、ボクも一個食べる。どう?」

「んーー」

 先の笑顔から一点、今度は渋い顔をして悩んでいる。可愛らしい眉がキュッと曲がり、眉の間にシワができていた。リルちゃんはボクやヨープスさん、マリーさんの顔とスープに残された人参を交互に見ながらウンウンと唸っている。恨めしそうにこちらを見ているような気がするのはきっと気のせいだろう。

 そうやって葛藤すること数分、リルちゃんはようやく人参の一欠片を口に入れた。そしてすぐ隣にある水を手に取ると、人参と一緒に一気に飲み込んだ。

「たべた!」

 コップを机に勢いよく置いて、自慢げな表情をこれでもかと見せつけてくる。

「リルすごいぞ!」

「偉いねぇ」

「偉いよ」

「リルえらい! ゔぇりど、にんじんたべて」

「一個だけだよ」

 机を囲むボクたちはリルちゃんを偉大な業績を成し遂げたかのように次々と褒め称える。ボクはそう言って器に入っている人参を一つ摘んで口に投げ入れる。躊躇いもなく行ったその動作にリルちゃんは目を見開いて驚いていた。

「なんですぐにたべれるの!?」

「美味しいから」

「うそだぁ!」

「それよりリル、あと二個残ってるぞ? 頑張れるか?」

「うぇ……」

 ヨープスさんの言葉にリルちゃんはカエルが潰れたかのような声を出す。あの体のどこから声を出しているのか不思議になるほど変な声だった。

「……ん!」

 しばし硬直したかと思ったら、リルちゃんは勢いよく人参を口の中へ投げ入れた。そして先程と同じように水で流し込もうとするが、コップにはもう水が入っていない。

 リルちゃんが口に人参を入れたままあたふたしている間に、マリーさんがリルちゃんからコップを受け取って水を汲みに台所へ向かった。マリーさんが水を入れている間、リルちゃんは苦しそうな顔で台所の方を見つめ続けていた。

「リル、おまた――」

 マリーさんが戻ってきて無事完食すると思われたが、そんなことはなかった。マリーさんが何もない所で躓いて派手に転んでしまう。

「いて!」

「あちゃー」

「ん〜〜!!!」

 もちろん汲んできた水も床に溢してしまっている。水を待っていたリルちゃんは声にならない悲鳴を上げてマリーさんに白い目を向けた。ヨープスさんは呆れ顔で、躓いたマリーさんに近寄って手を差し出した。

「私のことは良いから、これを」

 マリーさんは妙に真面目な顔で手に持っていたヨープスさんにコップを渡した。その目はドジしたばかりの人とは思えないかっこいい目だった。

「おう、任された」

「ん〜〜!!!」

「リルちゃんが辛そうですよ」

 非難の声を背にヨープスさんが淡々と水を入れて何事もなく戻ってきた。そして青い顔をしているリルちゃんにコップを差し出すと、リルちゃんはヨープスさんの手から素早く奪い取った。

「……んっ、んっ」

 水を一気飲みしたからか、むせてしまっている。それでも人参を食べている時に比べれば落ち着いた表情だ。マリーさんが水を溢して濡れてしまっているので着替えを済ませてから、しばらく他愛もない話をしていた。

 きっと家族がいたらこんな気持ちになるのだろう。ハチャメチャだけど、とても暖かい場所だ。優しいお父さんにおっちょこちょいなお母さん、それに世話が焼ける妹。その全てが新鮮で心地よかった。

 薬屋にいたときはひどい顔をしていたボクだが、ここに来てから何度も笑わせてもらった。リルちゃんがアークを宿していたことは驚いたし悲しみもしたが、ヨープスさん一家は幸せそうだった。それならアークのことなんかどうでも良いはずだ。

 改めてヨープスさんに出会えて良かったと思う。

「そうだ! ヴェリドさんが良ければお花見でもしません?」

「良いですね」

 ボクは気づいたらそんな返事をしていた。そうして花見に行く予定が決まった。

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