鴉と聖女
街が創園祭の熱で浮かされている時、聖女の私室には一人の物陰があった。その部屋はあまりに生活感に欠けていて、まるでお人形遊びの玩具のような部屋だった。
部屋の主である聖女は木製の椅子に座って窓の外を眺めている。その様子は何かがやって来るのを待っているかのようだった。
窓の外を見続けること数分、小柄な黒い鴉が窓の外で円を描いて飛んでいるのを見つけた。聖女は席を立ち、部屋にあるたった一つの窓を少しだけ開けて、すぐに椅子に座り直す。窓を開けた途端に冷たい風が部屋に吹き込んだ。
窓の外で旋回していた鴉は窓の隙間を確認すると、一直線に窓に向かって飛び始める。小柄な鴉と言えど、その窓の隙間からは部屋の中に入ることはできない。鴉は自分の身体を黒い霧に変えて部屋の中に流れ込んだ。
黒い霧は部屋の中で人の姿を形取り、ぼんやりとした人型からきちんとした人間の姿に変わった。彼はどこからか現れた衣服と仮面を身につけている。
「聖女サマ、せっかくのお祝いだって言うのにこんなところにいるのか?」
鴉から人型に変わったクロウは茶化すかのように話しかけた。聖女はその言葉に思わず苦笑を浮かべる。
「敬うつもりが無いのに聖女サマなんて呼ばなくて良いでしょう。それに姿を晒すだけで一苦労だもの。愛されるのは良いことだけど、少しは落ち着いて外に出たいわ」
「こういうのは形だけでも敬っといたほうがいいんだよ。教会の騎士サマたちがうるさいからね」
「違いないわ。私のことを聖女なんて呼ぶくせに、やってることは軟禁と同じだもの。私があれが欲しいこれが欲しいって言ったらすぐに持ってきてくれるけど」
「はは、千年近くこんな生活していたら外に出たくなるのも頷けるね」
二人は魔人と教会の聖女という互いの関係を気にせずに他愛もない話をしていた。それは創園祭の話から始まり、教会で食べるご飯が美味しくないことや最近まで高かった気温が急に低くなったことなど些細なことだ。聖女はここ以外では見せないような明るい笑顔や教会での不満をこぼす姿も見せた。
「こんなくだらないことをわざわざ話しに来たの? 貴方はそういう人じゃないでしょ。貴方と話す時間は楽しいから良いのだけど」
聖女は改めてクロウにここを訪れた理由を聞いた。しかしそれは形式的なもので本当は彼女は粗方の予想はついている。
「それじゃあ、単刀直入に聞こう。アークの魂の件はどうだい?」
クロウは具体的なことは言わずに聖女に問いかける。声の調子は先程と変わらず世間話でもするかのようだ。
「どうって聞かれても困ってしまうわ。ミアのことならあなたも知っているはずよ」
「やめてくれよ、腹のさぐりあいをするつもりはないんだから」
聖女も先程と同じように軽い口調と柔らかい笑みで返した。そんな聖女の姿を見て、クロウは苦笑し空を仰ぐ。
「もちろんミアのことは知っているさ。俺が聞きたいのはアークの蠱毒についてだよ」
「まだ数が集まってないから蠱毒は行ってないわよ。貴方が手伝ってくれればもっと早く集まるのに。貴方の目は優秀だから」
「申し訳ないけど俺も調整で忙しくてね」
「そう言っていつも手伝ってくれないじゃない」
聖女は虹色の髪の毛先をいじりながら拗ねたように言った。窓から差し込む光が彼女の髪の毛に当たり、艷やかな髪が光をキラキラと反射する。クロウは小言を言われるが気にする様子はなく、絶えず仮面の下で笑っていた。
クロウの態度が気に入らなかったのか、彼女はわざとらしく顔を背けて話を続ける。
「いいわ、クロウなんか嫌いよ」
「そんな事言うなら俺もお前なんか嫌いだよ」
「……やめてよ、貴方くらいしか対等に話してくれないのよ? 皆ももっと仲良く話してくれれば良いのに」
クロウは少し怒ったような、すごんだ声色で話す。大人気ないクロウの反応に、聖女はしかめっ面から慌てるような表情に変えた。そしてクロウに向き直り、甘えるような声を出す。それでも言葉の後半には拗ねた口調は抜けきっていなかった。
「はは、おばあちゃんだから皆遠慮してるんだよ」
「それを言ったら貴方だって、自分の名前を忘れたおじいちゃんでしょう」
「名前を忘れたのはお互い様だろ」
「私は忘れたわけじゃありません。皆に言ってないだけです〜」
クロウは纏っていた嫌な雰囲気を散らせて聖女をからかう。聖女とクロウは互いに長い時を生きていることをネタにして笑いあった。
「聖女サマの名前を知っている奴はいるのか?」
「私が聖女になる前に出会った人は私の名前を知ってるわ。ただ皆死んでしまったけど」
「聖女サマが一般人だったときはどんな人だったんだい? 俺はあいにく聖女サマが箱庭を創ろうとしていたときしか知らないもんで」
聖女からすれば他愛もない話、しかしクロウからすればこれこそが本題と言ってもいいほど重要な話に触れる。箱庭完成前の彼女の話はヴェリドの記憶に関する鍵になる可能性がある。クロウはあくまでも軽いお喋りとしての形を保ったまま、彼女に話を振った。
「大したことはない普通の女の子だったのよ? 厄災に怯えていた普通の女の子。ただ近くにいた人たちが今じゃ神様なだけ。神様の近くにいた女の子だから聖女、ただそれだけのことなの」
「それだけで聖女になれるものなのか」
「そんなものよ」
そんな話をしばらく続けていると誰かが部屋の扉を叩いた。
「聖女様、誰か部屋の中にいるのでしょうか? 失礼でなければ部屋の扉を開けていただけないでしょうか」
「それじゃあ、俺はこのへんでお暇しようか」
「えぇ、ごきげんよう」
クロウは小声で彼女にそれだけ伝えて、体を闇に変えて窓の外に消えた。
※×※×※
貴方に私の過去を伝えた時、私は一つ嘘をついた。神様が近くにいた事、これは間違ってない。ただ、私を聖女たらしめるものはそんな小さなことではない。それはただの女の子だった「私」を語る上で欠かせない存在。
貴方は「私」を見つけられるかしら?
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