一人の死者と幾千の魂 50話:オルフィという花

一人の死者と幾千の魂

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オルフィという花

 約束の日、ボクはヨープスさんの家を訪ねた。

「はーい! 少しお待ち下さい!」

 扉を叩くとマリーさんの明るい声が返ってくる。その声を聞いて、ボクも少し明るい気持ちになった。マリーさんの言葉通り、少しするとマリーさんが家の扉を開けて顔を出した。

「あらヴェリドさん。ごめんなさいね、もうちょっとだけ時間が掛かるから中に入ってて?」

「失礼します」

 家の中ではヨープスさんが大きな荷物をまとめていたり、リルちゃんが退屈そうに足元をうろついていた。きっと二人とも準備で忙しくかまってくれないのだろう。

「ゔぇりど!」

 リルちゃんはボクの姿を見ると名前を呼んでこちらに駆け寄ってきた。ボクは腰を落として駆け寄ってきたリルちゃんを受け止める。リルちゃんは白と水色のワンピースを着ていた。

「お洋服可愛いね。似合ってるよ」

「ママがくれた! ゔぇりどのかみ、あおい! きれい!」

 褒め言葉なのかよくわからないが、一応褒め言葉として受け取っておく。髪の毛に限らず、ボクはこないだと全く同じ格好をしている。黒の特徴のない無難な服装だ。

「これは青じゃなくて紫だよ」

 ボクは自分の髪の毛を指さしてもう一度、紫と口にする。きっと紫という色を知らないから青という風に言ったのだろう。

「むらさき? ん〜?」

 リルちゃんは首をこてんと横に倒して唸っている。首の傾きがほぼ垂直で首が取れてしまいそうだ。しまいには首だけではなく体全体が倒れて面白い格好になっていた。

「悪いな、待たせちまった」

「いえいえ。それで花見っていうのはどちらで?」

「街の中央に教会があるでしょ? その裏の広場にオルフィが一面に咲いてるのよ」

 ボクたちはマリーさん先導のもと、広場へ向かった。教会に苦い思い出があるボクだが、今回は楽しみな気持ちが嫌な気持ちを上回っているので大丈夫だ。花見がどういうものかはよくわからないが、きっと楽しいに違いない。

「着いたー!」

「ついたー!」

 マリーさんが声を出すと、リルちゃんも続いて歓声を上げた。リルちゃんは喜びの感情を爆発させて走り出してしまった。正面にはオルフィの海が広がっているのでリルちゃんは花たちの周りを駆けている。

「うわーい!」

「リル! ちょっと待ってよー」

 マリーさんもリルちゃんに置いていかれないように後を追って走り出した。ヨープスさんは後ろからそんな二人を微笑ましそうに見ていた。

「二人とも転ぶなよ」

「うん!」

「私に言ってるの〜? 私は転ばないよー」

 ヨープスさんの言葉に二人とも元気な声で返事をする。ヨープスさんは地面にシートを広げながら

「マリーのやつ、あぁは言うけど絶対転ぶんだ」

 と言って笑顔を見せた。

 準備が終わったのでボクもオルフィの元へ近寄って、じっくりと観察する。オルフィという花はボクに弱々しく可憐な印象を持たせた。ハート型の白い花びらが円形に並び、その中にはまだ開いていない小さな蕾がある。ボクはなぜだかオルフィを見て懐かしさを覚えた。

「どう? オルフィ、綺麗でしょ?」

「はい、オルフィ、好きなんです」

 ボクがしゃがみこんでオルフィを眺めていると、マリーさんがボクに話しかけてきた。ボクはこの花を見たのは初めてのはずなのに、自然とそんなことを言っていた。まるで前にもオルフィを見たことがあるかのように。

 ふと脳裏に映されるはオルフィが咲き誇る大地。その大地に名前なんてものはなくて、ただそこにあった。あの日初めて見た時、この景色を誰かと一緒に見たいと思った。

 ボクは蹲っていた君の手を引いてそこへ向かって走った。一緒に見た君は目から涙を溢しながら顔をほころばせたんだ。あの頃はまだ痩せ細っていた君だったけど、それでも今まで見た何よりも綺麗だと思った。

 薄汚れた襤褸(ぼろ)切れに似合わない光を反射する七色の髪。整った鼻筋に伝う涙。くしゃりと笑った君の笑顔。

「――、ありがとうね。――と一緒に来れて本当に良かった。このお花、なんて言うの?」

「わからない。きっと新種だよ。最近新しい種類の生き物がたくさん見つかってるんだし」

「そっか。それじゃあね、このこの花はオルフィって名前にしよ」

「オルフィって何?」

「私が今作った言葉よ。永遠の平和って意味。それとね」

「それと?」

「やっぱ止めた。秘密」

 ボクが君に問いかけようと隣を向くと――

※×※×※

「――りど、ゔぇりど」

「……あぁ、リルちゃんか」

「どうしたの? 急にボーっとしちゃって」

 リルちゃんやマリーさんがボクに心配そうに声を掛ける。意識が戻った時にリルちゃんの顔がすぐ近くにあってボクは少し驚いた。

「ちょっと昔のことを思い出して。大したことじゃないですよ」

「それなら良いんだけど」

「三人で集まってどうしたんだ? 俺だけ除け者なんて寂しいぞ」

 ヨープスさんが荷物番してる場所から声を掛けてくる。相変わらずの優しい声色で安心した。

「ヨープスさん! 荷物番、交代しましょう」

「おぉヴェリド、ありがとな」

「にげるなぁ!」

リルちゃんが口を膨らませて怒っているが、逃げるが勝ちということで、ボクはヨープスさんの元へ走って逃げる。

 自分でもわからない不思議な記憶が浮かび上がってくるのはこれで二度目だ。一度目はヴァンくんの両親を土葬した時。色々なことを思い出した気がするのに、君の名前もボクのこともわからないままだ。

 ボクはそれらの思考を頭の片隅に寄せて、ヨープスさん一家が楽しそうにしているのをしばらく眺めていた。

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