救済の儀と騎士
鐘の音の余韻が薄れてきたが、人々の解散する様子は見られない。黙祷が終わった人はこれから何かが起こるのを待っているようだ。
「この後は何があるんですか?」
疑問に思ったボクは先程から無言のシグノアさんに話しかけた。
「これから救済の儀が行われます。貴方もしっかり見ておいてください。貴方の始まりとも呼べるものですから」
シグノアさんは淡々とした口調でそう語った。
救済の儀と聞いても、怒りなどといった感情はボクの中に湧いてくることはなかった。当時は怒りを覚えるほどの体力が残っていなかったのだろう。食料や水はろくに与えられなかったし、根本的に体力が少なかった。
それに救済の儀で殺されたときの記憶は確かにあるのだが、他人のことを見ているような気がしてならない。きっとボクが自分を守るために、ボクと異なる自分が救済の儀で殺されたのだ。ボクは「ボク」を通して救済の儀を見ていたのだろう。
何にせよ、ボクは極限の状態だったのでまともな思考はなかったはずだ。
シグノアさんの言葉にボクはうなずき、再び正面に向き直る。先程まで箱庭の物語を語っていた男性は姿を消していた。その代わりにこれから処刑されるであろう女性が十字に磔(はりつけ)にされた状態で運び込まれている。
女性は薄汚れたツギハギの服を着ている。もともと綺麗だっただろう彼女の銀髪はくすんでしまってほぼ灰色だ。それでも彼女が銀髪であったことがわかるくらいには艷やかな髪をしている。彼女の頬は遠目から見てわかるほどに痩せこけていた。彼女はまともな食事を摂っていないだろう。彼女の鋭い赤眼だけが爛々と光っていた。
彼女が人々の前に姿を表すと、人々は彼女に対して罵詈雑言を浴びせる。それは以前ボクが言われた言葉と同じだった。彼女が何をしたのか知らないのに、次々と暴言が出てくる様子にボクは恐怖した。彼女は人々を睨みつけるがその声は収まるばかりか、より過激なものに変わっていった。
しばらくすると金髪碧眼の騎士が教会から出てきた。彼は胸元に教会の紋章がついている鎧を着ている。本来、教会の騎士は治安維持などに力を割いていて、あまり公の舞台に姿を表す存在ではない。
現れた騎士は容姿端麗で若く見える。彼は年若く、教会のこれからを担う存在として象徴とするなら適した人材だろう。
「皆さん、お静かに。これよりニアレイジの名において救済の儀を始めさせていただきます」
彼の言葉を受けて人々はすぐに静かになった。そして皆、彼を見つめる。
「本日神のもとに送られる方は親族殺しの罪を犯した女性です。彼女は我らが主より御力を賜ることができなかった前世の咎人です。願わくば彼女が己の罪を贖い(あがない)、主の救いの――」
騎士は銀髪の彼女が犯した罪を語る。騎士が語る隣で彼女は騎士を今にも殺しそうな目で睨みつけている。
「私はお母さんを殺してなんかいない! 私が家に帰ったときにはすでに倒れていたわ! それに私はお母さんたちを愛してた! それなのに、なんで!」
彼女は騎士の言葉を遮って自分の境遇を語りだした。彼女は自身の冤罪を主張するが、周りの人たちの、犯罪者の言葉に耳を貸すものかという意思をはっきりと感じた。
それでも彼女は語り続ける。彼女は今にも泣き出しそうで、その声は震えていた。
「その日は、お母さんが玄関で倒れてた! 心配だから抱き起こして、聞いたの、大丈夫、だいじょうぶ? って。そしたら、いきなり、騎士たちが私達の家に押し入って、私を捕まえたの。確かに、私は御力を授かってないわ。それでも、私は、私達は幸せだった。幸せだったの。私達の幸せを邪魔しないでよ……」
最初は力強かった声が終盤には消え入りそうになっていた。彼女の声に嗚咽の音が混じり、言葉は途切れ途切れで、正直聞き取りやすいものではなかった。それでも彼女の想いは心に伝わってきた。その想いは誰もが抱くアタリマエのことだ。
しかし御力を持たざるものにとって幸せは当たり前のことではない。御力を持たない子供は生まれたそばから殺されることもあるらしい。しばらく育てても周囲からの悪質な嫌がらせなどが原因で、育児放棄されてしまうこともある。ボクだって育児放棄されたようなものだ。
ようやく手に入れた幸せも唐突に訪れる悲劇によって失われてしまう。確証はないが騎士と住民の策謀によって、彼女は母親殺しの罪で死刑になったのだろう。
彼女の話を聞いていると、心が苦しくなる。悲劇に囚われた彼女に手を差し伸べるために、ボクは人混みをかき分けて前に出ようとする。
「だめですよ。ここで貴方が動けば私達の生活が危うくなります。それにあの騎士、ただのお飾りではなく、しっかりとした訓練を受けています」
ボクの心を覗いたであろうシグノアさんが前に進もうとするボクを引き止める。シグノアさんの冷静な声はボクの高ぶった感情を鎮めるには十分だった。
彼女が語り終えると、騎士は静かに剣を手に取った。
彼が手に取ったのは金属製の剣ではなく、御力によって現れた光の剣。その剣には複雑な紋が描かれていて、見るものに美しいと思わせる何かがあった。
しかしそんなことはどうでも良い。ボクはその剣に見覚えがあった。忘れるはずもない、あの光剣がボクの胸を貫いたのだ。
そして光剣の持ち主こそがボクの弟、サイアード=ニアレイジだ。自分の兄を殺したヤツに親族殺しの罪で処刑されるなんて、皮肉が効いている。
その後のことは一瞬だった。気がついたときには彼の光剣が彼女を貫いていた。彼女から鮮やかな紅の血が溢れていた。
「ヴェリドくん、大丈夫ですか?」
ボクが声を掛けられたときには、血に濡れた彼女の姿は無く、熱に浮かされた人々だけが残っていた。
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