明らかに異質なその光景の中で、クロウだけが日常のフリをしていた。
「まぁ、ヴェリド、落ち着いたらどうだ? お茶でも出すぜ?」
「どういうことだよ!? どうして、どうしてヨープスさんたちは死なないといけなかった!?」
「なるほど、お前が元気なのは伝わった。だけどヴェリド、お連れの嬢ちゃんがビビってるぜ? まぁ、俺が静かにさせるからなんの問題もないんだが」
クロウはその場から立ち上がることもせずに右腕をリルリットへ伸ばした。その瞬間にリルリットは全身の力が抜けたかのように崩れ落ちる。ヴェリドはクロウの淀みない瘴気操作に反応することができなかった。
クロウのそれは先のサーノティアとの戦いで実感した自らの無力さをむざむざと感じさせた。守りたかった者は守れず、自分が生き残っている現状がひたすらに悔しかった。ヴァンが自殺したときのような行き場のない暗い感情が立ち込めてくる。
「おいおいそんな顔するなよ? 別に殺したってわけじゃないんだからさ。リルリット、だったか? それがいるとこれからの話をしにくいだろうから眠ってもらっただけだよ」
ヴェリドはしゃがみ込んで、リルリットが息をしていることを確認する。そして息をしていることに安堵して、また少し自分のことが嫌いになった。
ヴェリドは自身の瘴気の扱いが上手になったと思っていた。しかしクロウのそれを見れば自身の技術がどれだけ拙いものかを実感する。
クロウの瘴気操作は箱庭が創られる前の時代から今までで培った技術であり、ヴェリドとクロウの間には容易に超えることができない壁があった。針に糸を通すような繊細な操作、出力調整、その速さ、どこを取っても勝てるところがない。
ヴェリドはクロウの瘴気に対抗するために出したはずの、目的を失った魔剣を消した。
「落ち着いてくれたみたいで嬉しいよ」
「要件は? この状況を説明しろ」
「そのために俺の話を聞いてもらおうかな」
ヴェリドは慣れない威圧的な口調で少しでも精神的優位を取ろうとする。クロウはそのことを気にも留めず、自らを瘴気に変えて人の立ち姿を作る。黒の瘴気が渦巻き、クロウが再び人型として現れる。
自らの異質さを強調するための行動はヴェリドにクロウが人ではないことを実感させた。
対面しているのは常軌を逸する存在、魔人であると。
「そうだな、どこから話したものか。……おかしいと思わなかったか? お前が今こうしてヴェリドとして生きていることが。本来のお前は愛されず、弟のために殺されるだけの名無し子のはずだった。だが実際は違う」
クロウの声色はどこか愉しげなものだった。
「名無しの子は弟に殺された後、生き返った。そしてヴェリドと同じくアークを宿した竜と対面した。魔猿を殺し、ヴァンと出会った。ヴェリドが殺した魔猿はヴァンの両親で、ヴァンが近づいてきたのはヴェリドに復讐するためだった」
対してヴェリドは口を固く閉ざし、険しい顔をしている。
「ヴァンはヴェリドを殺そうとするがちょうど良いタイミングでシグノアが助けに来てくれた。シグノアはヴァンの自殺を止めることができず、ヴァンは死んだ。ヴァンが死んだことによる傷をリルリットが埋めた。そのリルリットが襲撃された。その後リルリットの両親が死んだ」
クロウはヨープスとマリーに目もくれずに、ただ死んだという事実だけを述べた。先程までも愉しげな声だったが、一層愉しげな声でヴェリドを煽る。
「あぁ! なんて悲しい世の中なのだろうか! どうしてこんなに悲劇が続いてしまうのだろうか!」
クロウは演劇のように語る。手を広げ、自身が物語の悲劇の一部かのように悪意に満ちた笑いを零す。明かりのない部屋で、月の作る影が悪意に呼応して揺れた。
「簡単なことだよ。俺が悲劇を作ったからさ。たまたま魔猿を殺したら、その魔猿が人であった頃の子供が復讐しにお前の前に訪れた。そんな事があってたまるかよ。全部逆なのさ」
ヴェリドの胸の中には様々な感情が渦巻いていた。怒り、悲しみ、絶望。どの言葉を取ってもその黒い感情を形容するには足りない。胸に渦巻く黒いソレはあらゆる感情を飲み込んで大きく膨れ上がっていく。それとは逆にヴェリドの顔からは大切ななにかが抜け落ちていた。
「始めに両親が子供を捨てた。その両親は駆け落ちで結婚したため他に身寄りがいなかった。失踪したって誰も気に留めやしない。だから魔猿として悲劇の一役を買ってもらったのさ。そうやって集めた魔猿たちを瘴霧の森に放った。そこでヴェリドが殺したのがたまたまヴァンの両親だったというわけだ」
「……」
「後はわかるだろ? 俺がヴァンを焚き付けてヴェリドに復讐するように仕向けた。でもお前が死んでしまっても困るからシグノアが助けに入ったというわけさ。自殺するとは思わなかったがあれはあれで劇的で良かったよ」
「……シグノアさんは、全部知ってるんですか? リルちゃんのことも全部、仕組んでたんですか?」
ヴェリドは自分の言葉を否定してほしかった。信じている人たちは自分の味方のままだと言ってほしかった。もし信じていた人たちが自分を弄んでいたとしたら、ヴェリドは二度と立ち上がることはできなくなってしまう。
ヴェリドの縋るような言葉は、クロウによって簡単に砕かれる。
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